音楽放談 pt.2

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小休止191「分かり合えないから楽しいと思える世界」

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この頃は様々な社会問題が顕在化されて、言語化されている。

 

人種差別問題は昔からあった言葉だけど、LGBTQとか各種ハラスメントとか、そうしたものが言語化されていくことで問題として認識されていくものなのだろう。

 

この種の話題で 得てしてなされる言説が「今時は」「もうそんな時代じゃない」という言葉だ。

 

それ自体は発する人のリテラシーや問題意識によって意味合いは変わるだろうから一概には言えないけど、それらが問題となった背景について「時代だから」という認識しか持てないような人は、流石に問題アリと言わざるを得ないだろう。

 

私の会社にも1人いて、40代前半ぐらいなのだけど、彼の価値観は前時代的、コミュニケーションの仕方が基本的に誰かを貶すような発言が多く、それが面白いと思っている結構厄介な人だ。

 

人のミスやできていないことを執拗なまでに追い詰めるし、他人のプライベートを公然に大声で喚き散らす、そんなことばかりをやっているので、周りから見ると非常に気分が悪い。

 

そこを指摘された時の彼の発言が、まさしく「世知辛くなったな」である。

 

1mmも面白くないので誰もがスルーしたセクハラ的な発言を、あえてまた別の場所でして顰蹙を買っている様を見ると、もはや哀れとさえ思えるが、その辺りの感覚が根本的に差別者のそれだろう。

 

 

彼に限らずそうした差別的な見方しかできない人、あるいは昔でいうイジリ的なコミュニケーションで、誰かを堕として笑いを取ろうとするようなスタンスの人は、実は根本は気が小さく臆病者だというイメージである。

 

まさにいじめと同じ精神構造だと思うけど、自分がその対象になるのが怖いから、予め別の誰かをその対象として認識させるようなコミュニケーションだと個人的には思っている。

 

別にこの人がそいつをいじめてやろうとは思っていないとは思うけど、昔からそうでしか話ができないからそれが染み付いているんだろうと思う。

 

それこそ先のハラスメント問題についても、それが問題だということが言語化されたことで窘められることが出てくるので守られる人も出てきたのはいいことだけど、それを理解できない限りにおいては彼にとっては「居心地の悪い時代になった」というだけの認識しか得られないだろう。

 

つまり、本質は変わらないということだ。

 

今問題だとされている各種の問題は、昔から一貫して問題だったんだけど、それに名前がついただけの話である。

 

うつ病だってそうじゃない。

 

そうして名前がついたことで、気づく人がいることはいいことだから、その流れ時代はとてもいいことだと思う。

 

そして、こういう事象が色々問題として顕在化されるほどに一貫して言えることって、多様性を許容するか、自分と違うものを受け入れられるかどうかということに多くは収斂していくように思う。

 

自分がこう思っているんだから他人だってそう思っているはずだ、私がこんなに強い感情を持っているんだから他の人だって同じくそう思っているはずだ、という思い込みがいろんな問題を起こしていて、そもそも自分は自分、他人は他人という境界線と認知があれば、そもそもそんなことしないだろうという話が多い。

 

そこには理解なんて必要ない。

 

理解なんてできないんだから。

 

だから受け入れるしか解決策はないと思っていて。

 

場合によっては議論が必要な場面があるかもしれないけど、それは社会秩序を維持するという目的以外にはないと思っていて、個人の価値観の中で治る限りにおいては誰も何も言えないのだ。

 

ただ受け入れられるか否かだけで。

 

私のこの主張だって、所詮私がそうあるべきだと思っているという以上の意味はないから、そう思わないという人がいてもそれはい仕方ない。

 

でも、それを仕方ないと受け入れることも一つの解決策だし、分かり合えるまで話し合おうよ!とかいう人がいたら私は全力で逃げる。

 

そういう人とはまず議論にならないし、なぜその人がそうしたいかと言えば自分の正しさを示したいだけだとしか思えないから。

 

それはただの害悪でしかない。

 

 

人は分かり合えないという前提に立てば、あんまり人には期待しない分ストレスは少ない。

 

まあ、逆にあまりに価値観の違う人、受け入れがたい人がいた場合にはどうしようもない絶望感やストレスを感じることもあるけど、その場合は双方のアウトぷっとで調整するしかない。

 

そうしたせめてのもの気遣いが成り立てば十分だろう。

 

それすらできない奴には困ったものだが。

 

多様性なんていうフワッとした言葉じゃなくて、あなたが世界で1人だと思いたいように相手もそう思っているし、あなたが理解できない人がいると感じるように相手もそう感じているし、どうして私のことをわかってくれないのかとあなたが思うように、相手もきっとあなたに対してそう思っているだろう。

 

そういうスタンスで相手と接すると、たまに「あれ、この人同じ事考えてるのかな?」と思えるほんのわずかな瞬間がとても幸せになったりする。

 

まあ、根本はお互いに無理しないのが一番だと思うって話なんだけどね。

 


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