一昨日に筋肉少女帯のライブへ行ったのだが、久しぶりにその音楽を聴いた時にこんなにカッコよかったかしらと思ったものだ。
先のライブについての時にも書いたのだけど、音源も久しぶりに聴いていると以前と印象が変わっている。
それこそ私は中学生の頃に、テレビでオーケンを見てなんとなくエッセイを読み始めた。
その頃地方ラジオも週次のパーソナリティもやっていたこともあって、完全にオーケンのファンとして筋少と出会っている。
当時は特撮の2nd『ヌイグルマー』が出たタイミングだった。
筋肉少女帯についてもテレビのも出ていたし、すでに物心はついていたと思うけど見た記憶が全然ないのだよな。
99年に活動凍結なので、すでに音楽番組とかも結構見ていたはずなんだがな。
ともあれ、後追いでエッセイ、小説を読んでいく中でバンドも知って、高校生の頃に曲も聴いたのだけど、最初に手に入れたのは『サーカス団パノラマ島へ帰る』で、その次が確か『レティクル座の妄想』だったと記憶している。
よりによって彼らのディスコグラフィーを見るとことさら暗いアルバムを最初に聴いてしまったわけだが、当時まさに思春期を拗らせて根暗街道まっしぐらだった私には刺さりまくってしまった。
ただ当時はオーケンの歌詞にしか耳が入っていなかったと思うけど、思い返せば曲自体が良かったからちゃんと入っていたんだろうなと思うよね。
そんな感じでオーケンの著作からの情報しか実はこのバンドについては知らないのだ。
うっちーが幼馴染とか、橘高さんがメタラーの中で有名とか、それくらいは知っていたが、正直おいちゃん、太田さん、エディについては存在を認知している程度だったし、他のメンバーについてはそれ以上は何も知らなかった。
筋少がなぜ凍結したのかも知らなかったし、実は再結成の際はアルバムはちゃんと買ったんだけど、再結成ライブは行かなかった。
当時は別な音楽に興味がふれていたこともあったしね。
で、冒頭に戻るのだけど、演奏の迫力もあるししっかり揃っているし、緩い割にはバチっと決まっているし各自のソロパートもかっこいいし。
オーケンも高音部はさすがに厳しいところも出てきているが、ヴォーカリストとしてちゃんと色もあるから、バンドとしての魅力は十分なのだ。
ただ、自分でもよく入っていたが音楽のことなんて何もわからない、最近ならまだしも以前なんてなおさらだろうから、そんな彼になぜこんな名うてのメンバーが集まったのかが改めて不思議に思ったのだ。
そこでなんとなくネット検索していたら、実は再結成の際に自伝も出していたのを発見、知らなかった。
ドラムの太田さんは参加したなかったので、再結集した4人のインタビューで構成されたもので、各メンバーそれぞれが生い立ちから音楽遍歴、また筋少の再始動までを語っている。
これは面白そうだと思って夜中にポチッて380Pくらいの分厚い本だが昨日と今日で一気に読んだ。
久しぶりにこんだけ本読んだな。
さて、早速感想みたいな話なのだけど、改めてこうやって各メンバーの視点で語られているのを見ると、なぜみんながこのバンドに集まったかだったり、私自身がなぜこのバンドを好きになったのか、といったことを改めて感じたり、それぞれのキャラクタやバンド運営のキーマンみたいな役割を誰がしていたか、といったことが見えてくる。
まずオーケンのインタビュー、冒頭から照れ隠しなのかマジなのかわからないが、事実か妄想かわからないといきなりケムに巻くようなことをいう。
オーケンについてはエッセイでもふれられていたエピソードも多くあるわけだが、改めて結構真面目に語っているんだろうなというところもたくさんあって、率直に思ったのは基本的に自己愛の強い人なんだろうなということ。
自己意識みたいなものが肥大化しすぎてどうしようもなくなっちゃうところがあるんだろうなという感じだ。
それが文筆家として、あるいはタレントとしても成功を収めた要因にもなるし、音楽的な知識はなくてもテクニックの鬼みたいな人たちが一目置くことになったんだなと。
おいちゃんも橘高さんもエディも、初めての出会いでオーケンの存在に衝撃を受けたと語っていたのがまさにそれを示しているんだろう。
うつ状態にも見舞われてしまったりするのだけど、彼の根本にあるという死への恐怖と性への執着みたいなものは、橘高さんも実は近しい感性を持っていたんだというのもインタビューで見えてくる。
そんな橘高さんのインタビューだが、冒頭からなかなか衝撃的な生い立ちが語られる。
彼もその見た目からのイメージとは裏腹に、結構思春期は困難に過ごしたようで、いっとき引きこもりだった中でギターを練習しまくって、若くして頭角を表すようになったのだとか。
それでも早々に挫折してしまった中でメタル色のそんなにない筋少に加入し、そこで表現の可能性を見出してやがて人生の大きな柱になっていくのだから面白い。
根っこにずっと不安みたいなものを抱えて生きてきた人みたいなので、疲労やストレスで彼も精神を一時病んでしまって大変だったようだ。
ただ、オーケン同様彼も自分でやばいぞ、を気がつけたのが良かったと述懐している。
ちなみに個人的にギュッとなったのが、自律神経を崩した時についての描写、急に自分の体が乖離したみたいな感覚になるとあったが、私がそうなった時もまさにそんな感じだった。
それはともかく、凍結時にはなんだかゴタゴタした中で彼が太田さんに続き脱退、その余波でファンの炎上も招きついでオーケンも脱退したこと凍結となったのだとか。
この時についてはみんな触れているのだけど、メンバー間の緊張状態を話しているのはオーケンと橘高さん、おいちゃんはなんだかわからないうちにみたいな感じで、うっちーは空気は察していた程度の感じだけど、多分明確に語らなかったのかなという感じもする。
そんな感じで凍結したが、再結成にあたって1番熱をもって動いたのは実は橘高さんだったらしい。
彼の母が亡くなった際にメンバーがツアーの合間を縫って葬儀に参列してくれたことがあり、その時にこのバンドを家族だと感じた、と入っていたのだが、彼にとっては捨て難い場所だったし、音楽家としても彼のやりたいことを表現できたこのバンドはやっぱりやっていたかったんだね。
個人的には彼のパートが1番興味深く、またグッとくるところがたくさんあったな。
続くはおいちゃん、かなり初期の筋少に元々参加しており、有頂天もメジャーデビュー前までいたのだとか。
知らなかった。
彼も子供の頃から楽器に触れており、割と順当なロック少年として育ったらしい。
多分メンバーの中で1番まっすぐな青春も過ごしているのではないかと思われる。
彼のパートではひたすら音楽の話が中心にあるから、生粋のミュージシャンなんだろうなという感じがする。
一方で彼も少しメンタルをいっとき崩してしまったらしいが、彼自身も話しているようにそもそもナイーブなところもあるからあまり他の人の心配していると自分まで影響されてしまう、という危惧もあったので一線を引いていたところもあったのかなと。
他のメンバーの彼に対する評価は、いつも変わりなく年上年下からも親しみやすい、ということで人当たりはいいんだろうね。
彼のインタビューからはそのイメージが掴みにくいのが面白いなと思った。
でも、そのスタンスってちょっとわかるなと思えてね。
彼はうっちーと共に凍結期間もずっと筋肉少女帯だったのだが、40歳にはまたやりたいな、なんて思っていたが実際は41歳での再会だった。
理由は、実は彼は1人だけ一つ年上で、他のメンバーが40歳になったタイミングでの再始動になったからだそうだ。
ただの偶然だろうけど、この人は真っ直ぐに生きているんだろうなと勝手に感じた。
そして唯一の休止もしていないオリジナルメンバーがうっちーだ。
派手な人が多いバンドにあって私は地味な印象で、オーケンの幼なじみの人くらいの認識だったけど、実はこの人がいたから成り立っていたバンドなんだなとよくわかったよね。
飄々としたところもあるが、冒頭から「みんな坊ちゃんだったから」と話すように、実はみんなそれなりに裕福な家で育った筋少メンバー、うっちーもそうだったとか。
それぞれに事情は抱えているところはあるにせよね。
それはともかく、割とみんな感情も手伝って記憶が曖昧だったり感情的だったりする時期が多い中で、割とうっちーは常に俯瞰して見ていたところがあったようだ。
それでも『パノラマ島』の時はみんなと同じくあまり記憶がないらしい。
確かに繰り返しの反復が多い上に寝不足になるとマジで時間軸が記憶から落ちるのよね。
わがまま放題のメンバーの中で、裏方との調整薬のようなところもあったようで、そんな苦労も口混じりに語られているのだけど、生来の図太さというか、本当にやばい時は素直な身体症状に出るようなので、そうならないように自分を制御できる人のようで、それで一歩引いたところでバンド運営をやっていたんだろうね。
まあやらざるを得なかったんだろうけど。
ただ、凍結から再結集にあたっては彼とオーケンの溝が実は大きくて、その辺りのほつれについては急に言葉が少なく抽象化しているのが面白い。
中学から本当に親友として過ごしていた中で、最後の方はオーケンが突き放すような態度をとったのも彼の中で感情的に悲しかったり、許せなかったりしたんだろうなと思っている。
それでもオーケンのメンタルの不調も知っていたり、うっちーの方が大人なので、彼が歩み寄ったことで最後の氷が溶けて無事に再結集となる。
ちなみに彼はオーケンと仲良く過ごしていたものの、音楽的な研鑽は実はしっかり積んでおり、昔からサポートで引いたりしていたそうだ。
また割と早い段階からおいちゃんと共にMACを入手して触っていたそうだ。
熱しやすく飽きっぽいようなところもあるというが、変に執着しないところも強さなのかもしれないね。
と、ざっと印象的なところを振り返りながら感想を垂れ流してみたが、この自伝が出たのが2007年、再結成からはや17年が経っており、凍結前より長くなっている。
音源もコンスタントにリリースしており、大変だった日々の周年ツアーまでやっている。
先日のライブでも、還暦過ぎてもやっていこうみたいなことも話していたし、バンドの雰囲気もいいようで、よほどのことがない限りは続いていくんだろうなという感じだ。
私は正直バンドの裏側とかそんなに興味はないし、好きなバンドでもその背景とか知らないバンドはザラにある。
生前wikipediaに載っている程度の情報を知っていればいい方だ。
別に薬で逮捕されたとか、殺人とか強姦は別としてちょっとした犯罪歴とかは大して気にもしない。
ただ、共感するポイントだったり、理屈ではなくなんだか刺さってくるような場合はそれを掘り下げて見たくなる。
それで明確になるわけじゃないし、そうかこれがあるからか、と思うのも勝手にそう思いたいだけなところもあるだろう。
だけど、アーティストとタレントの違いってなんだろうと思うと、根っこにあるものが滲み出るかどうかの違いなのかなと思っていて、そういう時には背景をもう少し掘り下げることがある。
NINとかアナログフィッシュとか、その辺りのバンドはそういうことしたな。
人生を諦め始めた私にとって、一度別れたおじさんたちが楽しそうに、しかもみんなバラバラな志向性っぽいのになんで一緒に演奏しているんだろうなんて思ったのですね。
曲を聴けばなんだかんだ好きだなと思っているし。
ちなみにこの本を読みながらずっと筋少の曲を聴きながらだったのよ。
メンバーに概ね共通するのは、不幸なわけじゃない、客観的にも恵まれているし、悪くない人生だと頭ではわかっている。
だけど、なんかイマイチ幸せになれない、浸れない、そんな不安を持っている人たちで、そこからくるものがひょっとしたら分かり合えているものなのかなと。
橘高さんは自分たちの曲についてや、それを支持してくれるファンについてそんなことを言及しているところもあったけど、何よりこの人たちがそういう人なんだろうなって。
だから、音楽的にはコアでもその価値だったり受け取る側の心情については時代を超えた普遍性を持ってしまった音楽なんだろうなと。
実際若いファンもいるしね。
色々思うところもあってダラダラ書いてしまったが、たまにはこうやってバンド自体について掘り下げると面白いよね。
表現が魅力的な理由は、実はそういうところにも由縁を見つけられる場合もるなと改めて思ったのでした。
それにしても、私が初めて彼らに出会ったアルバムの頃は、みんな記憶ないんだな。