私はあまり映画を観ない。
好きとか嫌いとか以前にあまり興味がないというのが実際である。
ただ、たまに観ようかなと思う作品があるわけだが、往々にしてその惹かれる理由は自分の好きなアーティスト絡みか、あるいは人間の狂気を描いたようなものである場合が多い。
前者の例でいえば『Social Network』とか『ドラゴンタトゥー』とか、あるいは『Control』もそうである。
いずれも映画自体も面白かったけど、どちらかというと劇中の音楽にしびれているところがある。
そして後者の例でいえば『es』とか『羊たちの沈黙』とかかな。
『Lost highway』はどっちの要素もあってよかったね。
で、最近観たのはDVDなのだけど、Joy Divisionのドキュメンタリー。
実は数年前に買ったのだけど、当時は再生をしくってずっとインタビューを流していて、さすがにきついぜ、と思って途中で見るを止めてしまったのだが、改めてなんとなく見てみたところちゃんと映画になっている。
私は馬鹿でした。
そいで改めてみたんですね。
全体的にはJDに関わった人たちのインタビューを軸にしているんだが、ライブ映像なども織り交ぜながらなので、いわゆるロックバンドのドキュメンタリー。
驚いたのは、不倫相手と言われたアニークが出てきたところ。
色々角が立ちそうなものだが、非常に印象的。
この人ってすごく理知的な方なんですね。
文学少年でもあったイアンが心惹かれたのはわからいではないですね。
また、かの有名な写真についても語られていたり、イアンの子供との写真もあったのは興味深かったね。
ちなみにこれがその写真。
実は良いカットがなかなか取れないときに、ふと空き時間に待っているメンバーを撮影したらしっくりきた、と言うことらしい。
このバンドのイメージとしては非常にいいですよね。
ポスターとかあったらほしいよね。
後はメンバーの証言もすごく良かった。
フッキーとかもちゃんと話してて、いつまでの不良親父なのは笑えたが。
それにしても、『Control』での配役は本当に本人にそっくりな人たちを集めたんだね。
そこもびっくりでした。
ファン以外にはあまり興味のない内容だとは思うが、一人の人間を多角的にとらえるという意味では面白かったです。
そしてもう一つがこれ。
ご存知スタンリー・キューブリックの名作と名高い『時計じかけのオレンジ』。
割とロック映画的によく目にしていたが、冒頭の事情で見ずに過ごしていたんですね。
で、この間時間もあったのでようやく見たのですが、いやぁ、これは悪趣味と言うか、強烈な皮肉の入ったブラックユーモアな映画ですね。
イメージしていたのとは少し違ったけど、なるほど強烈な力をもった映画です。
一言でいえば暴力についての問題提起、ってところだろうか。
生来の残虐性と暴力性を備えた主人公を通して、様々な暴力を描いていく。
序盤では物理的な暴力。
ホームレスへの暴行から見知らぬ作家宅への強盗、さらには強姦、ドラッグに仲間へのチカラでの支配。
主人公は歌いながら暴力を謳歌する。
あたかも”ホラーショウ”、観ている側も強烈な暴力にもかかわらずあたかも単なる演劇のように感じてしまう。
BGMは”雨に歌えば”。
もちろん映画なので演劇には違いなのだけど、残酷さは感じないんだよね。
だけど、それが非常に胸糞悪い。
後半は、主人公が政府の政策による人格矯正プログラムを受けて、過去の悪行がたたって様々なし返し(暴力)にさらされる。
そこではBGMもなく、ただただ無機質で痛烈な暴力だけがある。
かつての家には見知らぬ他人がいて、すでに彼は絶縁同然。
かつての仲間は警官になっていて、公的な力をもって彼を打ちつける。
かつて暴行した作家には矯正による副作用的なところをつかれて自殺に追い込まれる。
そして収監された病院では、彼んい施された矯正プログラムを考案した現政府の高官がおとずれて、彼に治療効果についてのパフォーマンスを依頼する。
しかし、その時の彼はすっかり元の残虐性を取り戻しており、高官の「具合はどうだい?」の質問に、意気揚々と応えるのであった。
「すっかり治ったよ!!」。
ここには現代社会における様々な暴力が渦巻いている。
それを暴力を振る側から描いており、主人公による振り返り形式でナレーションがされる。
そこでまず物理的な暴力の刹那性やむなしさが暗に描かれる。
振う側には一時の楽しみ(娯楽性)をもたらすだけで何も残らない。
振われた側には痛みとただただ憎しみだけが残る。
そこに負の連鎖が生まれるわけだが、それを立ちきるのは権力、社会の力であった。
この映画の公開当時はあまりに強烈な内容ゆえに問題が起こって、キューブリックも自身に危険が及ばんとする自体にまでなったとか。
人によっては暴力を賛美している、と受け取る人もいるし、ギャングのような連中にはある種のファッションを与えただろう。
アマゾンのレビューではひたすら素晴らしいと言い続ける人もあれば、非常に反省的な内容を書く人もいる。
だから、すごく観る人を選ぶ映画には違いない。
だけど、徹頭徹尾悪趣味だったな。
私は人には進めないね。
ところでタイトルの『時計仕掛けのオレンジ』とは何を意味するのかだけど、劇中では治療により条件反射的になすすべなくなってしまう主人公をさして、脳なし人間的な意味合いで使われている。
要するに自分で考えることもできず、選択権もなく条件反射に従うしかない様を指しているようだが、少しメタ的な視点でみると、劇中のアレックスは終始「時計仕掛けのオレンジ」であるともいえる。
彼は選択的に暴力をふるっているかといえば、恐らくそうではない。
ただ振いたいままに行使していて、一握の後悔も懺悔もない。
その意味で、彼には暴力をしない、厳密には欲求に逆らうという選択はないといえる。
そこに残虐性や彼の暴力性の根源を見るわけであるが、そこで普通の人に働く倫理観だとか自制だとか、そんなもの働く余地がないのである。
ゆえに、そもそも彼自体が最初から「時計仕掛けのオレンジ」であったとみなすこともできるだろう。
単に支配されるものが変わっただけの話である。
と、まあこんな具合にたまに映画を見てはウダウダ言っているわけだ。
その狂気はだれもが持っていて、でも普段は理性の名の下に抑圧されているにすぎない。
だから、その狂気がどういうスイッチで発動し始めるのか、そこをいろんな人が昔から考察しているわけだけど、それを垣間見るのが面白いのである。
個人的には世の人間賛歌とやらには否定的なので、その過剰に自己を美化せんとする風潮を否定したいだけなのかもしれないが。
ともあれ、また面白そうな映画があれば観てみたいですね。