最近やけにNirvanaのTシャツをきた人を見かけるが、流行っているのだろうか。
間違っても彼らの音楽が急にこのタイミングで見返されていることは多分ないと思うし、着ている面々を見ても多分Nirvanaがバンドだということすら知らなそうな人ばかりだ。
彼らのTシャツではにこちゃんマークが付いているので、そのキャッチーさは確かにあるからね。
だけど、私のようなギークはどこかそこに違和感を感じてしまうので、なんだかなと思ってしまうのだ。
それこそVelvet Undergroundのバナナとか、ストーンズやメタル系バンドもそう、Joy Divisionの1stのジャケットのTシャツもそうか。
まあ、デザインはデザインとしてその価値を認めるべきなので、そういうものとしてみておくのが正解だろう。
さて、最近私は歌のある音楽をよく聞いている。
歌としてやってくる歌詞に耳を傾けては、それを楽しんでいるんだけど、自分で作詞をしていることの多いバンドマンの書く歌詞はやっぱり面白いものも多い。
特に好きなのはAnalogfishなんだけど、トリプルファイヤーの歌詞もかなり面白い。
先日、ようやく彼らの最新作を買ったんだけど、本当にその表現は独特である。
「だらしない54-71」などと呼ばれたように、実は演奏だけ見るとタイトでかなりかっこいいんだけど、ヴォーカルと合わさるとどこか間抜けというか脱力系で、その感じが絶妙なのである。
彼らの歌の主人公は、言ってしまえばダメな奴ばかりだ。
およそ緊張感のないその世界は、意識低い系といえるだろう。
そこに絶妙なシニカルさみたいなものがにじみ出ているし、違う意味でチアフルに感じるのが面白いところである。
1st、2nd共にその温度感は保ちつつ、それぞれにマヌケでよかった。
そこにきての3rdなんだけど、芸風はかわらないが、より演奏もゆるさが増したような印象だ。
向こう側に意識高い系が見えてくるような表現が面白くて仕方ない。
「多分心理学的なテクニックを使って云々」みたいな歌詞が出てくるんだけど、書店に並ぶ啓発系の本をぜひみてみてほしいものだ。
で、このアルバムの中でことさら印象的で、まさに涅槃の境地とでも言えるのが”じじいの同窓会”という曲。
この曲の絶妙な遣る瀬無さと達観した感じ、それがどこかコミカルである様も含めてこの曲は実はすごいと思う。
「もう結果出てる」「今更判定に文句言わない」など、まあじじいだしな。
主人公のじじいは世の中の大多数のありようである。
悲観的な目線を向ければ、若い時にどれだけ壮大で可能性に満ちた夢のように見えたプランでも、振り返ってみればなんだったんだろうな、くらいのものかもしれないという。
だから価値がないという話ではないけど、他の曲のトーンと合わせてもこの息苦しいくらいの緊張感、失敗は許されない、一度踏み外したらもう地獄しか待っていない、とにかく上を見ていなくてはいけないなど、いかにも現代人っぽい逼迫感に一石を投じること請け合い、かどうかはわからないが、思わずクスリとしてしまう
そんな歌にあふれている。
最近気張っててしんどいなとか、意識体系アホか?と思っているような人はぜひ聞いてみてほしい。
なんぼなんでも「俺そこまでではないな」なんて気持ちになるか「俺の歌だ」と、どっちになるかはわからないが、こうこうメッセージのない割にやたら主張してくる歌は、ぜひ聞いてみてほしい音楽の一つだ。