音楽放談 pt.2

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世界の終わりは自分の終わり -Super Furry Animals

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なんていうか、自殺というのは赤の他人の話だけど、なんだかやりきれない気持ちにさせられる。

 

他に道はあったんじゃないか、なんていうのは所詮他人だからそう思うだけで、当人にしてみれば考えうる全ての道において絶望してしまうからそうするわけで。

 

その全ては彼にとっての全てだから、他人にはわかるべくもない。

 

だからこそただただやりきれない思いがする。

 

 

私はどちらかと言えば人生に目標を持っていないタイプだし、指して生きていたい理由もない。

 

でも反面だからこそ死にたくなるほどのこともないというのが実際なんだろうと思っている。

 

歳をとるほど死は迫ってくるし、どんな死に方をしようかと考えることが増える。

 

このまま1人の人生を歩む可能性が今のところ高そうなので、そうなったときに最低限生きている人に迷惑はかけたくたいので、そのための蓄えはしなければいけないし、準備模しておかないといけない。

 

日本では安楽死が容認されていなかったと思うけど、中途半端に自宅で死んで、事故物件にして迷惑をかけるくらいならちゃんと身辺整理をした上で、しかるべきお金を払って自分の死体も全て問題なく処理される手筈を整えておきたい。

 

あるいは、万が一事故か何かで死ぬことになっても、それはそれで仕方ないことだと受け入れるだろう。

 

大きな病にかかったとして、果たして治療をするかと言えば、多分しない。

 

そのまま死にますと言われたら自然な病死を今なら選ぶだろう。

 

両親には申し訳ないが、幸い私には兄がいるし、そこそこ保険金も出る生命保険にも入っているので、両親が余生を不自由なく過ごすくらいの金は残せるだろう。

 

子供も妻もなければ、残すべき相手なんて誰もいないし。

 

自分1人の人生なら考えるべきことはそれくらいだ。

 

だけど、少なくとも今のところは私には自殺という選択肢はない。

 

それはなんだか悔しいじゃないか、負けたみたいで。

 

別に勝ち負けがあるわけじゃないけど、誰か他人とかワケのわからん、自分のことなんて1mmもわからないような何かに潰されたみたいで悔しいじゃないか。

 

この辺りの価値観に、私が本質的に世の中の誰も信用していないということを表しているように感じるけど、でも所詮世の中なんてそんなものだと思っているし、どこまで行っても他人は他人だ。

 

中には一緒にいて安心できる相手や、好きな相手はたくさんいるけど、でも最後は1人だ。

 

1人で生まれて1人で死ぬんだ、なんて歌があったが、私もそう思う。

 

だからこそ、育ててくれた両親には幸せのうちに人生を終えて欲しいし、残りの人生は不自由なく過ごして欲しい。

 

と言って何か親孝行もしない私はろくでなしだがな。

 

ともあれ、私のような人間ばかりではないし、やっぱり世の中には誰かの役に立つ人がちゃんといて、他人にとってさえ重要な存在である人があるのだ。

 

誰かに感動を与えたり、誰かの人生を助けてあげたり、支えてあげたり、そんなことをできる人は本当にすごいなと思うし、そういう人は必要な人なんだと思う。

 

そんな人が、自身の人生に満足しているかと言えばそれは別の問題なのかもしれないけど、私のような人間からすれば、そんな人が自死を選ぶのは本当にやるせない気持ちになる。

 

でも、そういうことじゃないんだろうな。

 

 

できれば私も誰かの役に立つ人間でありたいし、誰かにとって求められる存在でありたいと思う。

 

仕事を頑張っているのもそれが理由としてはあるんだけど、今のところそれは実現できていない。

 

たまたまそこにいたのが自分であるだけで、本質的に私である必要性も必然性も示せていないからな。

 

しんどいから、急に車とか突っ込んでこないかなとか思うこともあるけどね。

 

でもやっぱり、自殺ってのは悲しい結末だよね。


Super Furry Animals - It's Not the End of the World?