年が明けてようやく1週間がたったが、早々に仕事が忙しくて信じられないくらい年末年始は早昔だ。
すでにぐったりしているのだけど、来週も毎日3アポ以上入っている。
狂ってる。
とはいえ、ちょっと違う視点を持たないとこのままではあかんぞということがわかっているので、とりあえずはそれを超えることが当面の目標だ。
なんて言ってみたところで、その先に何を求めているわけでもないので、結局なんなのかという話になるだろう。
最近また色々考えることも多いんだけど、結局のところ人生において大事なことは何に対してなら生きていようと思うだけ頑張れるかというだけなのではないかと思っている。
そもそも生きることそのものの意味はないので、それぞれに生きている時間をどう使うかというそれだけのことである。
それが立身出世という人もあれば子孫を残すことという人もあるだろう。
まあ、大半はそんなことを考えたりはしないで、いわゆる普遍的な人生を過ごすのだろうけど。
悪いことではなくて、それが自然なことなんだと思う。
それができずに、あれこれ考えて逡巡しているやつはただの不適合者だろう。
私は、昔ある面接で「セルフエンジンが足りない」という指摘を受けてハッとした記憶があるが、まさにそれである。
私にとって人生の理由は今のところない。
かといって死ぬうど不自由もしていないから、とりあえず生きているだけである。
幸か不幸か知らないが、そこそこ器用に卒なくこなせてきたので、今になってそれが却って足かせになっている思いだ。
よく中身のない人間という表現がされるが、その中身ってなんだろうね。
いまだにわからない。
もうそれもどうでもよくなってきているが。
さて、相変わらず世の中は不安がいっぱいで、年が明けて早々になんていうか、大変だよね。
上述のように、仕事もあって食うに困らないということそれ自体が僥倖といったことも言えなくはないが、しんどい人が増えた一方で、金持ちは尚金持ちになっていく。
そういった現実をみていると、そりゃ死にたくもなるよなと思う。
でも、一方で踏みとどまっている人の方が現実には多いのだから、そういう人には素直に尊敬の念を抱くよね。
個人の努力に関係なく、ダメな時はダメだし、逆なこともある。
私はどこか運命論者的な考え方をしているところがあるんだけど、結局何をやってもダメな時はダメだし、うまくいくときはうまくいく。
コロナなんてまさにそうだ。
気をつけていてもなる時はなるし、ならない時はならない。
努力している人ほど、そうならないときにショックが大きいけど、そもそも何もしてにやつには何も訪れない。
それだけは確かなんじゃないかとどこかで思っている。
悲観的になったところで何も変わらない。
私はすぐに悲観するし、どちらかといえば悲観的に考えるけど、詰まるところどうにかなると思っている楽観主義者だと最近自覚するようになった。
年明けだろうがいつだろうが関係なく、沈んでも沈まなくても時間は過ぎていくし、やらないといけないことはやらないといけない。
とりあえず、それだけが数少ない新年かもしれない。
明日死んでもいいと思えるくらい後悔なく生きろ、というのは昔からよく言われることだが、明日死んでもいいやつはこの世に未練のないやつや、特段の目標もないやつだけだと思っている。
私はいつ死んでもいいと思っているので、後悔の人生なのだろうな。
本当にそうだろうか。