音楽放談 pt.2

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小休止200「ブレークスルーを期待して」

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色々の批判もある中で、フジロックがこの週末開催されている。

 

客入りは例年の4割程度、アルコール類の提供はなし、観客にも頻繁に呼びかけがなされており、直前でも払い戻し対応、ライブの惜しげもない無料配信と、民間企業がやっているにしては採算度外視の決行と言っていいだろう。

 

思った通りというかやっぱりというか、方々からは批判的なコメントも多く寄せられており、中には単にこうしたイベントへの偏見でしかないようなものも多くあるんだけど、まあ良くも悪くも想定ないと言ったところか。

 

私は自宅で配信を見ながらゆるゆる酒を飲んでいるのだけど、今回こうして決行したフジロックの運営には拍手を送りたい立場だ。

 

感染拡大させたいのか、これでまたオリンピックみたいに間接的な影響が出る、自粛しろといった感じだ。

 

こちらについてコメントしたアーティストも日ダルマにされており、大きいところではアジカンのゴッチだろうか。

 

オリンピックには批判的なコメントをしていたのに、というのが批判の的で、ダブルスタンダードだなんだと散々ないわれようだ。

 

いかにも正論的なロジックだけど、私はそれに対してなんとも思わなかった。

 

結局公費で賄われるオリンピックと、あくまで一般企業が開催するイベントではそもそもの意味合いが違うし、開催されなかった時の影響も、単にメンツが潰れるだけなのが、実際的な生活が潰れるのでは話が違う。

 

それに、この1年半、何もせずに静かに自粛していて何か変わったのだろうか。

 

ただ悪化していく一方で、それは全世界的にも変わらないだろう。

 

違うのはこの事象に対する態度で、日本ではお得意の自己防衛以外はなくて、ただただ横一列でみんなで死のうと言った感じがするように個人的には思っている。

 

 

別にウィズコロナとかのスローガンなんてなくても、どうしたってそういうふうに生きていくしかないのは明白だろう。

 

いつまでもじっとしていても解決の糸口は見えていないし、そうしている間にころっと死んでしまったらそれこそ死に切れない。

 

もちろん私だって別に他人事として捉えているわけじゃない。

 

私の父は免疫系の病気をして、一応手術して退院してからもう10年以上経ったけど、いまだに病院通で服薬中、体力もないのでコロナになれば多分ダメだろう。

 

母も病気はないにしろ、もう60過ぎているので同じだ。

 

予防接種も、父は受けられているが母は63だからまだ受けられていない。

 

こんなご時世だし、いつ何が起こるかわからないからできれば会っておきたいと思うけど、万が一があってはいけないからもう2年以上実家にも帰っていない。

 

別に私にだけ特別な事情じゃなくて、多くの人がそう思ってそういう行動をしているんだろうと思うから、自分だけが同行といったくだらないことは考えていない。

 

 

ぶっちゃけ私は私自身がどうなっても別にどうでもいいと思っている。

 

死んでも子供や妻がいるわけでもないし、もし病気で死んだとしたら、保険金は少なくない額が親に入るようにしているので、死んだ後の処理の手続きはあるとは思うが、それくらいの手間で済むだろう。

 

それでも、少し出かけた時は最低2~3日は引きこもって外には出ない。

 

最低限、誰かにうつしたりしないようにできるだけ気をつけているよ、ていうことがいいたいだけなんだけどね。

 

 

で、フジロックである。

 

私は開催には肯定的だし、こうして英断を下したのは私はポジティブだと捉えている。

 

多くの人が集まるから不安だ、というなら外に出なければいい。

 

私の地元でもし開催されても、私はそうする。

 

親にもそうさせる。

 

たった3日だ。

 

ずっと、政府のやることに振り回されているだけよりは、少しでも何かのブレークスルーにつながるかもしれないんじゃないかと思えるなら、それはやるべきだと思う。

 

人が死ぬかもしれない、それはわかっているけど、何もしなくてもそれは同じことではないだろうか。

 

もちろん、やるからにはそこに参画する全ての人がちゃんと目的やリスクも全て共有の上、同じようにやるべきことをやらないといけない。

 

多くの人が集まれば、それが難しくなるのは当たり前のことだ。

 

だけど、このままあと何十年も同じ状況が続くことだってあり得るわけで、それを考えたときにとにかくじっとしてろ、なんて環境に耐えられるだろうか。

 

なんのための人生なのかわからなくならないだろうか。

 

少なくとも私は、別に生きてさえいればそれでいいなんていう価値観は持っていないから、そんなものは耐えられない。

 

自己責任とやらで罹患して、病院にいくなというなら行かないよ。

 

静かに死ぬならそれでいい。

 

ただ何もせず時間だけを消費するだけの人生よりははるかにマシだ。

 

死んだ後のことなんてわからないしね。

 

 

かと言って、そうして批判的なことをいう人に真っ向から対立意見をぶつけても、やっぱり何も変わらないだろう。

 

最近いろんなウェブのコメントとかニュースとかも見たり聞いた入りしながら、なんとも言えない気持ちになることが多かった。

 

個別については色々言い返す言葉もあるけど、でもそれをやったところで何か変わるのかなって。

 

結局盛場での喧嘩が拡張しているだけで、そこにいるのはなんの権限も影響力もない人たちだけだから、そこで何が解決するのかなとか思ってしまうのだ。

 

だからって解決できるような策が浮かんでいるわけではもちろんないけど、何かちょっとでも状況の変化は求めていきたいよね。

 

 

なお、フジロックにいく人たちに、万が一コロナになっても医療機関受診するな、という意見には半分賛成という気持ちもある。

 

実際にそうするべきかは別にして、それくらいの覚悟で思ってくれてたらという話ね。

 

色々の都合で私は行かなかったけど、仮になっても私はそうしたと思う。

 

これで死んでもしょうがないや、て。

 

悲しいかな、そんなに楽しい人生でもないし、特にやり残したこともないので、ライブとかそういう楽しみがなくなるくらいなら生きていても仕方ない。

 

どっかで誰かが何かを受け止めないと、負の連鎖は止まらないから、今はこうした批判を受ける人がそれを受け止めるしかないんだろうから。

 

一応言っておくが、もし今回フジに参加した人でも、もしコロナになったら病院にはちゃんといけるといいなと思ってますよ。

 

その人にはきっと待っている人とか、大事な役割があると思うから。

 

社会には、一定私のような人がいると思うので、そういう人が社会実験としてそういうところに駆り出されればいいんではないだろうか。

 

 

いずれにせよ、なんの力も持たないもの同士が言い合うのはもうやめにしたいし、なくなるといいよね。

 

そのためにも、政治家なんかを先生なんて呼んで崇めるんじゃなくて、マジで頼むぜってお互いに肩をはたきあうくらいの感じになるのが、本当はいいのかもなとは思うよね。