一体どこの修行僧かと思ったら、アナログフィッシュの下岡さんだった。
私が大好きなバンドの一つがアナログフィッシュで、多分ここ数年最もライブにも足を運んでいるし、音源もきいている。
音楽を聴くのはずっと好きだけど、人生のどこかで救いになった音楽となるとそんなに多くない。
そのアーティストは当然のように私にとってのフェイバリットになる。
それはともかく、このバンドの素敵なところは音楽が芯から鳴っていると感じることと、歌詞も音楽も全てが同時に襲いかかってくる、まさにアーティストとしての音楽を奏でていることだ。
下岡晃、佐々木健太郎という二人のソングライターがいて、それぞれの世界観で素晴らしい曲を奏でている。
それだけでもすごいことなんだけど、それぞれがそれぞれに刺さってきてしまうので、もはや逃れようがないのである。
こんな体験はなかなかできることではないので、ただただ嬉しい限りだ。
そんな中で、今回は私が個人的に勝手に感じている共感ポイントを論って悦に入ろう。
まずは下岡さん曲、その中でも特に共感的に感じるラブソングを中心に勝手に解説だ。
私が最初に彼らの曲で刺されたのはこちら。
通算9枚目のアルバム『Newclear』収録の”抱きしめて”。
LITE目当てで観に行ったMOROHAの2ndのリリースライブ、会場は渋谷のO-Nestであったが、彼らを観たのはそこが初めてだった。
正直全体的にはどんな曲をやったのかは覚えていないんだけど、この曲だけは強烈に印象に残った。
歌詞はあるカップルの何気ない日常の会話みたいな内容だ。
作曲した下岡さんとしては、諦めのようなどちらかといえばネガティブな感情を歌ったということだが、聞いている私はそうは思わなかった。
危険があるから、静かなところに行って静かに穏やかに暮らそうと、やけに心配性全開な男に対して、彼女な静かにいう。
「ねぇ、どこにあるの?そんな場所が。ここでいいから抱きしめて」と。
このささやかな、ありふれた一節の中にある種の本質が表現されていると私は思ったのですね。
この曲が好きだなと思ったその瞬間はそこまで思わなかったが、その後も彼の描くラブソングは、どれも絶妙に私に刺さってくる。
翻って考えるに、そこには私にとってのある種の理想があったのだと後に気づいたのである。
そんな手前で、ラブソングではないが下岡さんの視点がとても共感できると思ったのがこちらの1曲。
彼らのメジャー1stアルバム収録の”Town”。
都会暮らしの孤独感を描いたような楽曲だが、この歌詞の世界観が私が日々感じている感覚そのものだった。
たくさんの人がいるのに、自分を知っている人は、興味を持つ人は誰もいない。
別に普通のことなんだけど、そんな情景の中で「君の住むワールドはどう?僕のいるワールドはアップアップさ」なんて思うわけだ。
特に刺さるのは「室内温度計は上がることもなく、下がることもなく、一定を保つ。それなのに僕は風邪をひいてしまう」という冒頭の一節。
孤独感の正体の描き方として、こんなに秀逸な表現は、Tha Blue Herb以外では初めてだ。
そして再びのラブソング。
11th アルバム『Almost A Rainbow』収録で、彼らの代表曲の一つだ。
歌詞はこれまた何気ない日常。
「僕は馬鹿だから傷つけなきゃわからないんだ」と始まるのだが、そこからの彼女との会話を交えながら、何気ない日常の一コマを描いていく。
本当に何気なさすぎて、ちょっと聞いた分にはただの日記かよ、と思えなくもない。
しかし、そこに描かれる情景の中に現代社会自体がまじまじと浮かび上がってくる様は、本当に素晴らしいと感じる。
だけど、その表現の仕方そのものに目を向けても、刺さってしょうがない。
曲終盤の歌詞で、「酔った居酒屋は値段の割にひどいもので、それを愚痴る僕に君は思い出したように・・・」というやりとりがあるのだけど、ここに私の一つの理想があるなと思ったのだ。
ここから数作では、まるで連作のような曲があるのだけど、どれも素晴らしい。
『Still Life』収録の ”Sophiscated Love”もすばらしい。
「触れ合わなくても分かり合えるのかしら」と始まるのだけど、彼の描くラブソングはどれも導入が素晴らしい。
問題提起を冒頭にぶちかますので、そこで視点が提示されて、それに対して彼女は淡々と、当たり前のように、でもさりげなく答えを提示してくれる。
「歳をとるだけ賢くなるなんて、それは半分正しくて、それはほとんど間違ってる」という一節なんて年々身につまされる。
大人のラブソングってのはこういうのなんじゃないかと本気で思っている。
そして目下の最新アルバムからはこの1曲。
Joy Divisionなギター全開の”うつくしいほし”。
こちらはまさに”No Rain〜”と地続きのような世界観だ。
しかし、この曲では主人公にとって彼女がなぜ大事なのか、というようなことが描かれているように思う。
「よくできた腕時計のように、虚しさをばら撒き続ける針を、君はその華奢な腕で、簡単に止めちゃうんだね」という一節が、なんか刺さって仕方ないのだ。
これらの曲に共通すると個人的に思っているのは、主人公は自分なりの価値観が強くあって、常に世の中の何かがおかしいと思っていて、でもそれをうまく言語化できずについイライラしてしまっている存在だと思う。
その隣にいる彼女は、常にそんな彼の頑なにすら映る価値観を、さりげなく怒りをいなして違う視点を提示してくるような存在だ。
まさに聡明という言葉がぴったりくる、懐が深くて悟りを開いたような存在だ。
ちょっと近道を知ってるんだ、というくらいの気軽さで、ガチガチに固まった価値観を突起ほぐしてくれるようなやりとりがある。
私はこういう頭のいい、でも棘がなくてさりげなく丸く収めてしまう女性って、本当に憧れるのだ。
そして、私自身がこの歌たちの主人公である彼のような態度だったり心持ちを持ってしまうので、そんな意味のない虚しさをばら撒き続けてしまう性を簡単に華麗に止めてしまう様に、ただただ平伏するだけなのだ。
私も人の気持ちがわからない。
頑張ってみたけど、どうしてもわからない。
それでも一生懸命やっているんだけど、そんなことも全てわかった上で、否定するでもひたすら肯定するでもなく、さりげなく違う視点を示してくれる。
正解だよ、ではなくて、ちょっとこんな見方してみない?くらいの緩やかな提案が、圧倒的な説得力を持ってしまうあたりがすごいのだ。
”Town”はラブソングではないけど、そんな主人公の性格がよく出ている1曲だなと思うのだよね。
下岡さんの曲は社会的メッセージも強烈に含まれたものも多く、たとえば”Phase”なんて数年前から数十年後まで、日本人にこそ突きつけられる強烈なメッセージを持った本当の意味でのプロテストソングだと思う。
そうした曲のメッセージの強度は、この自分なりの軸をしっかり持った主人公だからこそのものである反面、自分を正義と信じられない彼はいつでも不安だ。
何気ない日常の中でふとそれが気になってしまったり、そのフラストレーションを些細な出来事への舌打ちという形で表されたりと、周りからみたらきっと頑固でめんどくさいやつなんだと思う。
でも、彼はまっすぐだし、だからこそ軋轢に苛まれてしまう。
そんな彼を、ただ包み込むだけじゃないやり方でスッと解きほぐすこの彼女は、ただただ素敵だ。
私にとっても理想的な女性像が描かれており、だからグッとくるのよね。
現実にそんな人にはなかなか会ったことはないが、折にふれて私を助けてくれたのは年上の女性だったね。
私も歳をとったので物理的に年上の方が少なくなってきただけだろうが。
ともあれ、私が下岡さんの曲で好きなものは、強烈な社会的メッセージをはらんだ曲もさることながら、こうした日常系ラブソングが本当に秀逸なのだ。
長らく彼女なんていない私だけど、幸せってそんな日常の中でふっと感じるから幸せなんだよね。
そういう距離感も素敵だし、理想でもある。
聡明な女性て大好きです。
そんなわけで、個人的な好みもあるけど、そうした視点すら共感的に思えるからこそ大好きなのだ。
本当は全然違う意味かもしれないが、私にはそう思えたのだからそうでしかない。
聡明な女性との出会いを求めていきたいものだ。
今度は健太郎さん曲についても書いてみよう。