昨年のLiars、The Velvet Teen、Vampire Weekendあたりは死ぬかと思った。
そう、ショックのあまり。
今年はRaptureも決まったけど、2日間も来るけど、会場も良いけど、平日や。
何故だ!と憤ってみても致し方ない。
何故なら休日に高い会場費で抑えても恐らくもとが取れないのだろう。
素晴らしい音楽が人気になるとは限らないのがこの世界、最近自分の聴いている音楽を観るにつけ、あまりにもマイナーだなと思ったのである。
iPodの中身を観ても誰とも話が出来ない。
まあ、いいんだけど。
で、最近聴くようになったのは、昨年辺りから話題のDeerhunter。
ヴォーカルが余りにも特徴的なのだが、その音楽は実にポップ。
しかもなんと儚い声の方でしょうか。
見た目とは裏腹とまで言っては失礼かもしれないが、実際驚いた。
調べると、先天的な病気であるらしく、それ故にあの細さらしいね。
今年のサマソニにも来たのだが、夏の日差しの似合わない音楽である。
私が聴いたのは2ndの方が先立ったのだが、いわゆるシューゲイザーと呼ばれる一群にカテゴライズされてはいるが、印象的には違う感じ。
もちろんそういう要素はあるにせよ。
で、曲はポップなものが多いのだが、スコーンと抜けた明るさと言うのはなくて、ジャケットのでデザインが物語っているような、どこか暗闇に片足突っ込んだような印象なのである。
歌詞を仔細に観た訳ではないのだが、聞く話では死をモチーフにしたようなものが多いとか。
作っている本人は別にそういう意識を明確に持っている訳ではなく、たまたま表現するものがそういう傾向にあるのかもしれない。
あるいは、自身が病気持ち(詳しい病状とかは調べてないのでわからないが)なので、自ずと意識されるのかもしれない。
子供の頃から常に不安があると、どうしたってそれが影響する事は考えられる。
まあ、わかんないけどね。
アルバム全体として非常に穏やかで優しい印象なんだけど、聴いていると危ない心地良さに襲われるときがある。
最近たまに、死ぬ瞬間の事を考える事がある。
別に自殺願望とかは欠片もないのだがね。
よく言う魂の存在とか、死後の世界とか、そんなものはまったく否定的な人間なので、死=消滅とおもっているのだが、その消滅の瞬間、自分と言う存在が消えるその瞬間はどんな感覚なのだろうか、と。
ブツッとパソコンの画面が落ちるように、ある瞬間に世界が消えて、それきりその消えた事すら意識する事もない状態になるのだろうけど、そうなった時、今まで自分として存在していたはずのものはどこに行くんだろうか。
どこに行くも何もなく、メモリーの残っていないデータは復元が出来ないのと同じで、きっと何もないのだろうけど。
実際どうなんだろうね。
確かめるべくもないが。
それはともかく、先日1stを買って、今聴いているのだが、こちらの方が楽曲的にはポップだが、付いていた対訳を読むと確かになんだか不安になってくる。
しっかり読んでないからわかんないけどね。
ただ、曲そのものはいいし、話題になるだけあるなあと。
またヴォーカルのソロプロジェクト、Atlas Soundもフリーダウンロードのものだけ聴いたのだが、こちらも実に穏やかで良い曲。
多分ヴォーカルの人は見た目とイメージから来る暗鬱なイメージとは違う感性なんだろうと思う。
アウトプットされたものが結果的に死を想起させるとしても、モチベーションはそんなところにはないんだろう。
今年のサマソニでも、「僕たちはロックバンドです。踊って楽しんでください。」というアナウンスを開始前に、日本語でしたという。
色んな意味でインディロックバンドらしいバンドな気がするな。
これからまたじっくり聴いて行きたいね。