音楽放談 pt.2

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政治的である事 ―AA=

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選挙が世間では話題を集めている。

今は非常に重要なポイントでありながら、焦点は絞りきれないというのが正直なところ。

自民党への不信感とメディアの煽りにより見事政権を取った民主党であったが、その内実は不甲斐ないものであった。

原発事故の対応については確かに予想外な部分もあったとえはいえ、褒められたものではなかった。

なにより情報開示とその後の初動については犯罪レベルだと思う。

当時の総理大臣、菅直人も実にしょうもない印象しかない。

野党時代は散々威勢のいい事を言っておきながら、いざ自分がなったら何も出来ないじゃないか。

結局自分が本当になるとは思ってもいなかったのか、あるいは総理になる事だけが目標だったのか、そうとしか思えなかった。

その前の鳩山なんて一体なんだったのか、未だに意味不明だ。

こいつらに比べれば野田さんは頑張っている方だと思う。

結果を残せているかと言えば、それは目に見えるものはないし、いつもベッドを背にした背水の陣発言ばかりにも思えるが、少なくとも前2者に比べればちゃんとしていたと思う。


とはいえ、こののっぴきならない状況の中でいつまでも任せておけるか、という問題もあるにせよ、3党合意の条件として提示していた解散をぶち上げて、こうして総選挙にしたのはなかなかのものだと思った。

その結果、第3極と呼ばれメディアでもてはやされていた連中は準備不足に慌てふためいた挙げ句に既存の党と同じように話題しか集められないような候補者を擁立したり、総選挙の断行を理由に民主党から易々と離脱した信念の欠片もない糞どもの馬脚を現したのはなによりの成果ではなかろうか。

今は連日選挙の話題で、各党があれこれと舌戦を繰り広げているわけだが、内容としてはほぼ消費税と原発の2点。

いずれも新党連中は反対を掲げ、あるのかないのかわからない景気対策優先を声高に唱っている。

もう少し言えば、自民、民主の官僚らとの癒着などを挙げては旧態依然とした在り方を変える、という訳だ。


それはもちろん重要だと思うのだけど、一方で同時並行的に国際社会にも目を向けなくては行けない。

というか、それがデフォルトの問題として常になるにも関わらず、そこの辺りについては言及されないのは単にテレビから流れる情報が偏っているだけなのだろうか。

国内政治の体制的な問題は言うに及ばずあるにせよ、もっと対世界という視点もあるわけで。

中韓という迷惑な隣人が幅を利かせ始めている一方で、限界説も根強く言われるようになっている。

こいつらどうするの?て話である。

その辺りについては余り耳にしないのは何故だろうか。


エラそうに言ってみたが、私は政治は全くわからない。

なので、最近ちょっと勉強するようにしているのだけどね。

選挙の番組とかも観るんだけど、それで思うのは、もし問題が国内だけの事であれば新党の方が良い部分は多分にあるだろうということ。

既得権益とかに縛られにくいのは確かだろうし。

ただ一方で国際政治の場面になると、やはり不安がある訳である。

少なくとも一日の長がある自民がやはり最低限はできるのは?なんて思ってしまう。

もっとも出来なかったから今があるのだけど、要は政権担当能力があるのかどうかの話なんだけどね。

恐らく今回は消去法で自民党になる気がする。

民主党はもうないだろう。

無党派層の多くは石原・橋本新党に入れるかもしれない。

だけど、それも多数派にはならない気がするし。

どうなるか、今年はちゃんと投票しないと、発言権もなくなるからね。


それにしても、アメリカなんかでは特に顕著なんだけど、こうして選挙が始まると様々なアーティストが政治的な発言や活動をするようになる。

U2は特に有名だし、ブルース・スプリングスティーンR.E.M.、マドンナでもそうである。

それだけ国民の関心事、という事もあろうけど、そもそも表現者には何かしらの主張ってあるだろうし、そもそもロックという音楽においてはそういった背景も少なからずあったはずである(もちろん全てではないけどね、念のため)。

しかし、日本では本当にそういう声って少ないよね。

まあメジャーの世界では特にレコード会社の意向もあるだろうけどさ。

やはりそれだけ日本の音楽市場は商売っ気丸出しで、決してアートではないし、自己主張の場でもないという事かもしれない。


一方でそうした発言を自身のブログなんかで行う人もいない訳ではもちろんない。

最近じゃ俳優さんとかのほうが多い気がするのはなんか皮肉と言うか、不思議な感じもするけど。

私の大好きなマッドのベースで、いまはAA=のTakeshiなんかは、一貫して政治的な発言は行っている。

といってもやはり関心は国内の事に関する事が多いのだけど、この人は実際にデモに顔を出したり、アルバムでもそうした態度を明らかにしている。

特に3.11以降にイリースされた『#3』はそれがより明確であった。

全ての作詞、ヴォーカルを一人で手がけた事からも、彼に取ってこのアルバムの目的が明確だったような気がする。

音楽性自体はマッドの延長と言う感じで、殊更新しい要素はなかったが、一方でこのアルバムで伝えたかった事はそのメッセージであったのであれば、それは方法として正解だったのだと思う。


もちろん政治と文化は別、問いって切り離す価値観の人が多い事もあるだろうし、それがダメだという話ではない。

だけど、このご時世にあってあまりそういう社会派と呼ばれる連中が日の目を見ないのも、なんだかおかしな気分にさせられる。

私が知らないだけの可能性は多分にあるけどね。

まあ、日本てそういうのを余り真剣じゃないし、むしろ真剣でなくても社会が回っているというのが何よりすごいんだけど、一方でそれが無関心につながって、本当に判断が必要なときに十分なリテラシーを持っていないというのはやはり致命的である。

世界的にみれば、どうしてあんな無能な政治家ばかりなのにあの国は立ち行くんだ?なんて思う人もかなりいるらしいからね。

私自身、これまで全く無関心に過ごしてきたので、今になってやっと勉強しようという有様なので、人のことをどうこう言えたものではない。

でも、時代は過渡期を、迎えているし、日本って実はホントにすごい国になってるんだぜ、て言う事をもっと皆が理解するべきだし、プライドも持っていいし、より主体的であるべきなんだよね。ホントは。

韓国の悪口ばかり言ってないで、自分自身に目を向けるタイミングなんだろうね。