音楽放談 pt.2

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音楽の価値 ―大滝詠一

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新年早々だが、いきなり悲しい話題から。

年末ギリギリに不意に飛込んできたニュースで、大滝詠一動脈瘤の1種で亡くなったとのことであった。

恐らく私と同世代か、5歳上くらいの人に取っては聴いた事のある程度の人だろう。

40代の人であれば、キムタクのヒットドラマの主題歌も歌っていたので、その印象が強いだろう。

そしてもっと上の世代、あるいはロックを熱心に聴くものであれば、伝説的な存在として認知されているのではないだろうか。

かつてはっぴいえんどのメンバーでもあり、日本のロック、歌謡曲界で非常に大きな影響も持っていたアーティストであった。

考えてみたら私も顔はあまり知らないのだが、やはりメディアへの露出はあまりなかったようだ。

割と表に出て色々とやるのが好きな細野さんなんかと比べても、古き良き日本のシンガーソングライターという印象で、それこそ山下達郎なんかとイメージ的には近いものを持っていた。


私は彼についてあれこれ語れるほど彼個人の音楽は聴いた事がない。

はっぴいえんどは全部聴いているから、そこでの彼の仕事しかわからないというのが正直なところだ。

だけど、細野さんはYMOとしてもソロとしても相変わらず元気一杯で、松本隆は今や売れっ子の作家、鈴木茂はちょいやらかしたけど今もミュージシャンとして活躍している。

当然彼もそうであった訳だが、病気では仕方ない。

あまりにも突然で非常に残念なことであるが、ね。


それにしても何よりも寂しいと感じるのは、彼のような偉大なアーティストの訃報にも関わらず、世間的にあまり話題にもなっていない印象である事だ。

まあ年末年始の特番が詰め込まれている中ではあるから、半ば時勢的に訃報を流すようなタイミングではないというのはあるのかもしれないけど、離婚ネタに盛り上がるくらいならもっと悼む気持ちがあってもいいのではないかとは思うのだがね。

しかし、それこそ加藤和彦が自殺した時にもそうだけど、世の中はそれほど興味がないのだろうね、音楽というものに。

加藤が残した遺書に書かれてあった「もう世の中は音楽を必要としていない」という言葉が、こうした大物の死によって図らずも証明されるかのようで悲しいね。

もちろん若い世代には若い世代の為のアーティストがいる訳だから、単に知っている知らないという問題もあるにせよ、すごい人だったんだよ、といって興味を持つ人もいないのだろうね。

それこそ最近では年末の紅白も少しずつ趣向を凝らす事によって、また少しずつ人気も話題も集めるようになってきている。

しかし、一方で本物と呼ばれるアーティストの出演は減ってきており、過去の栄光に胡座をかく演歌歌手とにぎやかしのアイドルグループだったりが主となっていて、歌番組以上にエンタメ性が強くなっていて、それはそれで悪くはないのだがそれも端的に求められるものが変わっているという事だろう。

求められるのは刹那的な笑いをもたらすバラエティであって、味わいとかそんなものではない。


話は少し変わるけど、アナログフィッシュの下岡さんの、”抱きしめて”という曲についてのインタビューを読んだのだけど、そこで彼が行っているのが「所謂ラブソングっていうものについて、愛してるとひたすら言い続ける曲もある。そして世の中で今流行っている大抵のラブソングはそういう歌である。しかし、『愛してる』という事を表現する手段はそれだけだろうかといつも思う」という旨の発言をしていたのだけど、その言葉には非常に共感できるものがあった。

そういう言葉の機微や微妙さというのを表現できる人は少なくなってきているのだけど、一方でそういう文学性みたいなものはみんな汲み取る事が出来なくなっているのも確かなんだろうね。


はっぴいえんどでは、作曲面で参加していることが多く、作詞は実質アルバム中では2曲しかなくて、うち1曲は彼等の中でも異色の曲”いらいら”ていう曲。

なんだかわからないが無性に苛つくぜ、という曲。

名作『風街ろまん』では半数の曲は彼によるものだ。

このアルバムは毎年ある時期に決まって聴いている。

心穏やかにしてくれる名曲ばかりで、歌詞以外の聞き所を作っている訳である。

音楽には色んな側面がある。

今度彼のソロ名義のアルバムも聴いてみよう。