最近は聴く音楽の幅は広まったものだ、なんてのは自分のブログを改めて観ても思う訳だが、昔聴いていたものも今も聴いているものもあれば、今はあまり聴いていないものもある。
最近あまり聴かなくなったな、と思うものの一つが筋肉少女帯である。
今にして思えば別に普通の高校生だったし、友達もいたし、どういう訳か周りには好評価だったからそれなりに恵まれた環境であったにも関わらず、諸般の事情により鬱屈してしまったばかりに道を外してそんな陰鬱な音楽をきくようになり、いつしか友人も減っていったな。
とはいっても、本当はそんな事もなかったはずだけど、そう思い込んでいたというのが実際かな。
それは今でも引きずってしまっているばかりに本当に人が寄り付きにくくなってしまったのは因果としか言いようがないね。
進研ゼミかなんかのCMソングにもなっていたけど、曲のキャッチーさに反して実に暗い、陰鬱とした歌詞であった。
「ダイジョブダイジョブダイジョブダイジョブだよね~」という歌いだしで、内容としては集団の中の孤立感をごまかす為に周りを見下そうとするも、詰まる所自分の自信の無さに負けているという内容。
いつか見返してやる、俺はお前らとは違うんだという根拠のない選民意識のようなエゴ。
それでも小さい自分を何処か客観視しているようなところがね。
このアルバムは全体的に非常に暗い、てか陰鬱。
音楽性が基本はメタルなので、かなり激しかったりポップだったりするけど、歌詞が圧倒的に世界観を持っている。
爽やかさの欠片もない閉塞的な世界観は一つのこのバンドの到達点なんだと思う。
小説家としても割と評価されているオーケンなので、その文学性が花開いていた時期なんだと思う。
トラウマロック、なんて自虐的に言っているが、ある意味では非常に健全なアーティストと言えるだろう。
で、このアルバムに入っている曲で、”香奈、頭をよくしてあげよう”というのがある。
オーケン自身この曲をかなり気に入っているようで、後年になって同名のエッセイも書いている。
このアルバムの中では珍しく鬱っぽさのないラブソングなのだけど、不思議な愛を描いている。
あまり頭の強くないがかわいげのある彼女に対して、ある種父的な視点で彼女を自立させよう的な使命感を表したような歌詞である。
最後の下りは「香奈、一人ででも生きてゆけるように」と言って終わる訳だが、ここに世にはびこるラブソングのような永遠なんてものは存在しない。
いつか恋も終わるのだから、と歌われる歌にはロマンも何もありはしない。
だけど、私は個人的にはそこに却って温かさみたいなものを感じるし、どこかしら共感めいたものを感じるところがあるのである。
所詮この子の人生にとって自分は通過点でしかないのだろうと言う思いがずっとあるし、多分その方がいいだろうという思いもある。
何か不安を覚えているかのようにすがりつこうとするところがあるが、それは果たして何に由来するのか。
いずれにせよ、世界はもっと広いのだし、そろそろ外に目を向けた方がいいだろうと思っている訳だ。
このままの関係でずっと続けて行く訳には行かないし、どこかで落とし前をつけないと行けない。
それはもうそこまできているから、なんて。
と、まあ陰鬱な中にもそんなほっこりする曲もあったりする。
全体的には自分というカラの中で肥大化するエゴと現実に対する失望感のようなものが非常に強い。
中2っぽいといえばそうだけど、その文学性や内的な鬱屈は別に時代を選ぶ者ではないし、だからこそ彼等の曲は今聴いても古くさいとは思わない。
まあ、実際曲そのものはいつしか様式美となるし、今やバンドは夏フェスでかなりの動員を呼ぶバンドになっている。
オーケンのキャラやMCの妙技もあるけど、詰まる所音楽の聴かれ方というものの多様性を暗に表しているかのようである。
私が高校生当時は実質解散状態であったので、マニアックなバンドを聴いている奴くらいにしか思われなかったけど、今という時代ならまた違ったのかもしれない。
でも、田舎の高校生がそうした多様性に触れることはなかなか難しいのが実際だろうけど。
いずれにせよ、独自の世界観が強いのでダメな人はダメだろうけど、殊音楽としては非常におもしろいバンドだったよね。
今もなんやかんや評価されているのは単なるコミックバンドではない音楽性があるからだし。
万人に薦めようとは思わないけど、ある種の層の子達には今後も一定の普遍性をもちつづける音楽だとは思うね。