音楽放談 pt.2

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小休止91「本質的な問題」

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appleの音楽定額配信サービスが始ったと言って話題になっている。

開発にはなんと我らがTrent Reznorが関わっているということでも一部話題になったが、iTunesという独自の音楽プラットフォームを持つ上に、なんと言っても天下のappleが本格的に乗り出した事でその影響を懸念している人、喜ぶ人と様々である。

既に定額配信サービス自体は珍しいことではないし、かつてはNapstarというサービスも時代に先駆けていた訳だ。

既に1曲単位で聴く事が常識となっている昨今とあっては、ニーズにはマッチしているし、むしろ当然の帰結だろう。

今時CDを買うのは一部のコレクター気質だけだし、アルバムで聴くという発想自体がもうないのではないかと思う。

実際、私の身の回りでもそういう聴き方をしている人はほとんどいないし。


以前にも一度この手の話題を取り上げた事もあって、個人的には別にどうでもいいというのが正直なところである。

私は相変わらずCDを買ってアルバム単位で聴いてるので、危惧する事としては引き続きアーティスト側はアルバムを作ってくれるかという事だけである。

では何故敢えて取り上げたかというと、たまたま目にしたあるウェブの記事のせいである。

どうもそれは個人が書いているブログが何かを取り上げたものらしいのだけど、いかにも現代的な意見だと思って腹が立ったのだ。

主旨としては、定額サービスが始って音楽に金を払う気がなくなってしまうという妻の言葉を受けて、お金を払う価値があると思わせる音楽を作ってください、という上から目線でアーティスト側に意見するような内容で、こういう奴をさしてバカと言うのだと腹が立ったのだ。


この手の話は割と良く聞く話で、ロジックとしては至極尤もなように聴こえる。

しかし、根本的な問題として、価値のあるものを価値のあるものとしてきちんと評価する為には一定のリテラシーが必要ということである。

正月番組で芸能人格付けチェックという番組があるが、アレを観ても明らかなように、世の中で価値のあるとされているものをキチンと見分けるにはそれなりのセンスがなければできない。

上質とされるものの味がわからない人間は上質な味を見分ける事はできないし、芸術性のその芸術性を知らない奴は芸術性なんて評価できない。

そんな自分の見る目のなさを棚に上げて他人を批判的に言う奴が世の中には多すぎる。

価値あるものをちゃんと作れと言う前に、その価値を理解するリテラシーをちゃんと磨けと言う話である。


問題を戻すと、音楽についても素晴らしい音楽を作っているアーティストは日本にもたくさんいる。

それが大衆性を持つかどうか、その人の嗜好に合うかどうかは次の問題として、その分野で評価されるものはそのしかるべき理由をキチンと理解出来る奴が批評をするべきだし、それすらもない奴が「売れないのはその価値がないからだ」という帰結をするのは短絡的だし、愚の骨頂としか言いようがない。

自分のわかるものしか評価できないのは誰でも一緒かもしれないが、それを排他的に自分のわからないものは(一般的にも)価値がないものだ、だからもっと頑張れよ、という上から目線の意見を言う奴は自らの愚かさを露呈している事に気がついた方が良い。

実際身の回りでも、頭良いなとか、優秀だなと思う人はまずそんな態度は撮らない。

俺にはわからない、という言い方をするだけである。

一方で、こいつ浅いなとか、頭悪いなとか感じるのはそういう短絡的で排他的な奴である。


音楽の楽しみ方なんて人それぞれだから、それ自体を否定する事はしないし、別にそれが時代の流れだと思うから、定額サービスの一般化によって事実CDのセールスは落ちるだろうが、未だにそんなものにすがっているのは日本の音楽業界だけである。

こんな無料で音楽が手に入る時代にCDを買う気にならないのは当然の話で、そんな事より問題なのは世の中の大半の人が音楽に興味がない事だ。

そんな自分の在り方を認識もせずにアーティスト側を否定するような態度のこいつは実に腹立たしい限りだ。