
ゲスの川谷とベッキーの騒動以来、なんだか知らないが次から次へと不倫騒動が巻き起こっている。
次から次へと頭を下げては反省している芸能人諸氏にはまあ、別に何も思わないけど、今の世の中はなんだか潔癖というか、法的にも問題なのかもしれないけど、つまるところ個人の問題だからどうでもいいだろうと思っている。
で、騒動の渦中には川谷始めカールスモンキーのように音楽をやっている人もいて、だいたいこういう騒動があると「もう買わない!」というやつが必ず出てくる。
単にそんな奴の儲けになるのが許せない、という嫉妬に近い個人的制裁の意味もあるのかもしれないけど、中にはそんな奴の作る歌、もしくは言葉は信用できない、というわけだ。
あるいはミスチル桜井も売れた瞬間乗り換えて結婚した、なんていう話で同じようなことをいうやつがあるわけだが、私には理解できないところがある。
これがもし社会的、政治信条的な価値観を歌ったものであればわかるけど、愛とか感情なんてのはどこまでいっても個人の問題だし、瞬間の動きでしかないから大した問題ではないだろうと思ってしまうが、どうも世の中は違うらしい。
まして不倫なんて言わずもがな、というわけだ。
しかし、今も名曲と言われる音楽の中には不倫の歌もたくさんある。
有名なものでは、今や伝説的な存在となりつつあるJoy Divisionの最大のヒット曲"Love Will Tears Apart"は、ヴォーカル・イアンの不倫中の心中を歌った曲であり、すでに有名な話である。
「愛が再び、二人を切り裂く」というアンビバレントなラインが印象的なのだけど、この愛が指す対象と話される二人は別なわけである。
見方を変えればロミオとジュリエット的な捉え方もできるのかもしれないが、実際は割と身勝手な信条であるのは言うまでもない。
しかし、その表現としての文学性や曲そのものの良さは確かにあって、だからこそ数々のバンドにもカバーされている。
夫婦共に所属しているArcade Fireもカバーしているのだから、曲は曲として評価されるべきという事である。
"Love Wll Tears Apart"
フリーがフッキーのパートを演奏しているのがなんだか不思議だ。
さかのぼれば、Velvet Undergroundの3rdに収録されている"Pale Blue Eyes"は既婚者への恋心を歌った曲である。
愛に見境いはないのである。
儚いメロディと静かな曲調が聴いていて心地よい一方でそこはかとない切なさも滲んでくる。
名曲だ。
時に幸せ、時に悲しい、時に幸せ・・・そんな行ったり来たりの感情で苛立つ思いもあるけど、彼女の青い目に魅入られてしまう、なんて。
この曲の風情というのは、多分今まさにそんな立場にある人には歌詞の意味が即わからなくても伝わるものがあるんじゃないかなと思う。
別に不倫とかを称揚するつもりはないけど、人間だもの、感情の生き物である以上そんな気持ちになる事もあるさ。
ただ、芸能人の場合だとそこにある種のあざとさが見えるような気がしてしまうからハナにつくのかもしれないね。
ともあれ、その表現そのものがすばらしいのであれば、それはそれとして評価されてしかるべきである。
仮にそんな事で聞かれなくなる曲は、ハナから大したものではなかったのかもしれないね。