最近土日はアマゾンで映画を見ている。
見る映画は暗く重たいものが主だ。
先日も書いたけど『Seven』とか、昨日は『Fight Club』『ベンジャミンバトン』など、フィンチャーの映画や、さっきまでは日本の『凶悪』という映画を見ていた。
出演陣の演技はいずれも素晴らしく、違和感含めてよく演じていたと思うけど、映画としては非常に後味悪いというか、スッキリするタイプの映画ではないが、個人的には楽しめた。
前にも少し書いたけど、私は人間のグロテスクさというか、そういうものに興味を持つことが多い。
別にいわゆるスプラッター系が好きというわけではなくて、精神構造的な歪さというか、そういうものについてね。
健全とされるものも大概理解できないものが多いけど、その対極にあるものとしてのその歪さが興味深いわけである。
極度に歪曲したような価値観や、なんの後ろめたさもない徹底した自己中心主義とか、社会的な動物と言われる人間でありながらおよそ人間らしさを欠いたその構造は、なんでそんなことになったのだろうと思うわけだが、それっていわば突然変異に近くて、理由なんてない場合が多い。
普通の人にも少なからずある要素だし、そうした指向性がゼロな人は逆にいないと思う。
でも、どこかでそれにセーブをかけたり、良心と呼ばれる作用でうまく社会に溶けているわけだけど、それがない人がやっぱりいて、そういうものには出会わないことを願うしかない。
理屈とかではないから。
不思議なのは、そういう人に限ってものすごい強烈な信念みたいなものはあって、自分なりの基準で全て判断しており、そこに対しては極めて従順であること。
だからこそ例え勘違いでもそこから外れた瞬間に豹変したようになるから、端から見たら狂っているようにしか見えない。
いやほんと、そんな人に出会いたくない。
さて、音楽業界でもグロテスクとか残虐趣味とか言われる音楽はあって、メタルなんかはそういったモチーフを使う場合が多い。
それこそかつてはマリリン・マンソンもそうした系譜で、悪魔崇拝みたいなところから血生臭い印象のPVとか、あるいは悪趣味な歌詞とかも手伝って、この手の音楽は嫌いという人はたくさんいるけど、反面熱狂的なファンもいるジャンルである。
その少し後に出たSlipknotなんかもその系統ではだいぶ目立つ存在である。
今でこそ自身主催でフェスなんかやっているけど、デビュー当時はその攻撃性とか憎悪といった感情だけをパッケージしたような音楽が凄まじかった。
彼らのアルバムの中でも評価が高いのは2ndにあたる『Iowa』というアルバムだが、1曲目からタイトルが"People=Shit"である。
激烈ヘヴィで聞いていて疲れてくるというのが正直なところであるが、そのドロドロした音像それ自体は確かに一つの到達点だろうと思う。
彼らはメンバーが10人近くいて、基本的に全て楽器を鳴らしているので音圧もすごいしね。
その後も今に至るまでキャリアを積んでいるから、さすがそこまでの強烈さは近作にはなく、モダンヘヴィなどというジャンルの中に収まりつつあるように思う。
ただ、彼らにしてもマンソンにしても、こういった過激な表現がメジャーフィールドで人気を獲得して、地上波にも登場すること自体はそれはそれで驚くべきことではあるが、根本的に彼らは常識があって、あくまで人のある一面を誇張したに過ぎないから、本質的にはセンスが過激だっただけなのだろう。
偏差値は高めかもしれないけど、異常ではないというレベル。
それでいいのだけどね。
もし完全に外れ値みたいな人だったら、そもそもこんな作品にはなっていないだろうし、なっていたとしてもおよそメジャーレーベルが契約するような類にはならなかっただろう。
人には誰でも影がある、なんていう綺麗事なんて鼻くそほどの重さもないくらいに影そのものみたいな人もいるけど、そいつ自身は本来は影のはずなのに平気で光の下に存在していて、影のまま振る舞う。
それは異様な光景にしか見えないだろう。
いやほんと、そういうものには出会いたくないよね。