音楽放談 pt.2

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皮肉な人への手向け ―Nirvana

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ロックというジャンルには伝説が多い。

ジミヘンやジム・モリソン、マーク・ボランシド・バレット、そしてイアン・カーティスなどなど。

彼らの残した音楽は非常にすばらしく、今聴いても、音は確かに古いけど、刺激的だし、自分を内的に鼓舞させる力を十分に持っている。

彼らが伝説である所以は、一つになんといってもその音楽ありきである。

しかし、それ以外にも上述のアーテゥストには共通点がある。

それは、早くに命をなくしているという点である。

ある者はドラッグのオーバードーズ、あるものは交通事故、そしてある者は自殺など、その死因は様々であるが、皆人気が絶頂のときに命を落としている。

そのため伝説化している側面は非常に強い。

シドはなくなったのは昨年であったが、実質既にあっち側のような人であったからね。


ロックは常に欲望と隣り合わせであった。

ドラッグによる快楽に溺れるものもいれば、愛欲に溺れて苦しむものもあった。

時には名誉欲や成功に溺れてしまうものもいて、因果な世界でもある。

しかし、そうして飲み込まれるものがいる一方で、それに押しつぶされてしまう人もいた。

成功によってもたらされた様々なしがらみに絡めとられ、自分がわからなくなり、ついにはたえられなくなってしまうのである。

演じる事のできない、正直で真面目な人間ほどそうである。

今や古典と化してしまったNirvanaのカートもそんな人であったろう。


Nirvanaといえば、今に至ってもフォロワーのたえないほどの絶大な支持を得ている一方で、そのおかげでファッション化されてしまってもいるバンドである。

意味もわからずニコニコマークのTシャツを着ている奴や、これ聴いとけばとりあえずかっこいいとか思っている馬鹿に、いいように利用されている。

死んでも尚、自らが望む姿にはなれないほどに哀れとしか言いようがない。

無条件にありがたがるばかりで、きちんと聴こうとしないような奴は聴くべきじゃない、なんて思わずいいたくなってしまうけど、それもポップフィールドで人気を勝ち得たものの宿命といえばその通りで、いつまでたっても因果な事に変わりはない。


そんなNirvanaの代表作といえば、やはり「Nevermind」であろうね。

特に彼らを一躍世界に知らしめた"Smells Like Teen Spirit"は、今やクソッタレのバラエティにもむやみやたらに遣われてしまうほどのポップさとかっこよさのある曲である。

正直クソッタレな映像をバックに流されるにはあまりに惨いと思うが。

それはともかく、ロック入門的な扱いにもなっているこの作品は、確かにすごくいいし、ポップだし、彼らのアルバムの中では異色である。

自信も「ポップすぎる」と語っていたほどであるからね。

別にカートはポップなものが嫌いだった訳ではなく、むしろポップさは欠かせない要素として挙げていた。

なんだかんだいって彼らの音楽は総じてポップである。

そうはいっても、その詞をのぞけば、そこにあるのは孤独感であったり、閉塞感であったり、果ては強烈なまでの自己嫌悪・自己否定である。

それをなくしてNirvanaは語れないのである。

特に日本では、洋楽がファッション的にとらえられている感もあるため、それをきちんとわかっている人は一部だろうね。


で、個人的に一番好きな彼らのアルバムは「In Utero」である。

Nevermind」の次に出され、実質最後のスタジオ盤になったこのアルバムは、とにかく重く暗い。

初めて聴いたとき、うわぁ、と思ったもの。

そのとき既にNine Inch Nailsとか聴いていたので、そういう音楽自体には免疫があったが、それでもそう思ったもの。

すごく悲しいムードも漂っていたしね。

絶望感というか。

NINとはまた違うエッセンスなんだよ。

彼らの曲は基本的に感情が外に向かっている感じがするんだけど、それゆえにそれがどんなにがんばっても人に伝わらず、あるいは理解してもらえず、途方に暮れるような感覚がする。

それはすごく悲しい事である、という事は経験的に多くの人がわかるんじゃないかとは思うけど。


もともとこの頃の音楽の、ある程度共通した特徴として重たい空気はあるし、彼らの曲もそうである。

それが当時の時代的な閉塞感と相まって爆発的なヒットにつながったんだけどね。

気分が鬱で、やや自棄的になっているときは妙に聴きたくなるんだけど、その中でもこのアルバムは群を抜いている。

その最たるモノといえば、曰く付きの"Rape Me"である。

当時隆盛をきわめていたMTVで歌おうとしてニヤリとする姿は非常に有名な一コマである。

そうしたエピソードも、彼らのファッション化には一躍買ってしまっている訳である。

ロック的でかっこいい、なんてね。

でも、この曲の歌詞はもっと注意深く読むべきだし、もし何を言っているかを冷静に考えれば、かっこいいだなんだなんて、そんな簡単にはいえないだろうと思う。

この曲はどうしようもないほどの自己否定であるから。


人が生きていく上で求めているのは、自分が自分であるが故に求められるということ、必要とされるという事である。

つまり、絶対的存在である事。

逆に言えば、人が死にたくなる瞬間てのは自分が代替可能な存在でしかない、と悟った瞬間であろう。

だから「Only One」とかいう甘ったれた思考がはやるんだろう。

この曲では「I'm not the Only one」と歌われている。

世間で多くの人間が我が代弁者、我が英雄とはやし立てる現状に対する彼なりの反抗であったろうと思うが、それでも世の中の多くの人間は一緒になって「Rape Me」と叫んだ訳である。

叫んでいた連中も、自分なりに解釈をしていたんだと思うけど、カートはもっと純粋な視点でこういう歌詞を書いたんじゃないかと思うよ。


このアルバムでのカートのヴォーカルは、とにかく痛々しい。

もともとしゃがれたような、味のあるいい声をしているし、別に歌唱法に大きな変化がでているとも思わないけど、痛々しい感じがしてならない。

前作の大ヒットにより、彼はアンダーグランドからは批判される事になってしまった。

裏切り者と。

しかし、彼にしてみればヒットなんて偶然でしかなく、成功欲が強かった訳でもない。

もちろん自分の作った歌を多くの人に聴いてもらいたいとか、好きになってもらいたいという気持ちはあったかもしれないが、そこまで考えてなかったというのが本当のところのようである。

要するにガキであったわけであるが、それゆえ自分に降り掛かった様々なモノにたえられなくなってしまったのである。

このアルバムには、そうした状況でどうする事もできずもがいている様がそのまま描き出されているように感じる。

全体的なくらいムードも、それ故じゃないかな、と思うけど。


このアルバムがでた翌年の94年、彼は自らの頭をショットガンで打ち抜き自殺してしまう。

顔の半分以上が吹っ飛んでしまっていて、すぐに彼だとはわからなかったそうだ。

あまりに悲しい最後である。

アルバムラストの"All Apologies"の中の穏やかな倦怠感とでもいうべきものが、あまりに似合うようで皮肉である。

彼の遺書は、今やすべて公開されているのであるが、そこには彼の誠実で正直で、真面目すぎる側面が見えている。

感謝という言葉を非常に多用しているのだが、それは認識の問題であって、彼の中の本心がどうしてもうまくいかない、というジレンマがあるようだ。

理解はできる、でも実感が伴わない、という奴である。

彼の書く曲の中に本質的に見えてくるポップさの理由も、非常によくわかってくる遺書である。

それと同時に、非常に悲しい遺書である。

ロックスターの苦悩、という奴を体現しているようにも思う。


音楽自体の説明よりも、個人的な思い入れを書いてしまったが、別に昨今のような圧倒的な発明がある訳でも神懸かりの演奏技術がある訳でもなく、彼らを押し上げたのはなにより時代の必然であったと思わせる、そういうアルバムである。

そのポップさ故に、彼らはトップに押し上げられただけである。

仮に彼らではない、別のバンドが時代の顔となっていたら、彼はまだ生きて音楽を作っていたかもしれない。

ひょっとしたら売れずに、「Nirvana凋落」みたいな扱いであったかもしれない。

苦しみのうちに死んでしまうよりも、そっちの方が幸せかどうか、なんて事を論じるのはナンセンスでしかない。

あるのは彼らは売れた、そして苦しんで死んだ、という事実だけである。

死んでも尚望むような姿になれないのは、彼の天性の才能のせいである。

天は二物を与えず、て奴かな。

いずれにしろ、ファッションではなく、聴くならちゃんと聴いてほしいバンドである。

それが何よりの彼に対する冥福の祈り方でないかな、と思うよ。