92年、Nirvanaの「Nevermind」の爆発的なヒットにより、グランジ/オルタナティヴはいよいよムーヴメントとして大きな流れになる。
過去のものを参照しつつ、新しい価値観を叩き付けるバンド群は、とても刺激的で、破滅的で、時代的閉塞感に苛まれていた当時の若者を多いに魅了した。
やはりその中でもメインストリームは、シアトル勢のようなギターロックであった。
ダイナミックで破壊的ながら、どこかに孤独感のようなものを内包したその楽曲が、時代の空気にマッチした。
それまで外に向いていた力は、内側へ向くようになり、自信のトラウマを歌詞にしてそれが多くの共感を得ることも多かったようだ。
病理の共有とでもいうべきか。
そうしたバンドとは音楽性において明らかに異質で、孤高の輝きを放っていたのがNine Inch Nailsの歴史的名盤「The Downward Spiral」である。
「Broken」の商業的な成功と、レーベルとの決別を経て、自信の創作活動に没入し始めたトレントは、曰く付きのスタジオも買い、自主レーベルも立ち上げ、身近な者とレコーディングを始めた。
レコーディングには様々なゲストが招かれ(というよりも音のイメージに合う人に依頼していた、という方が正しかろうが)、その名前を見るだけでも非常にそそられる布陣である。
トレントのNIN活動初期は、外の世界に対する怒りがその原動力のようであった。
その心情が最も反映されたのが、前作「Broken」であろう。
一方そうした成功と裏腹に、様々なストレスも生じる訳で、その中でドラッグに溺れるようになる。
歌詞も次第に内向的なものが多くなっている。
ずっと外に向いていた憎悪が、あるときふと自分にも向き始め、それが止まらなくなり気がつけばすっかり蝕まれたいたような、そんな状態であろうか。
そうした世界観の末に出来上がったのが、このアルバムである。
インダストリアル・メタルの金字塔、などとよくいわれるが、このアルバムの音楽は既にインダストリアル・メタルの範疇を遥かに超えている。
機械的なサウンドを導入して、などというレベルでもないし、そもそも音楽の指向性も変わっていて、スタイルとしてそういうのがベースになっているという程度であり、この音楽をそういったタームで語ることは完全にナンセンスである。
まあ、特徴を列挙するとどうしてもインダストリアル的な言葉になっちゃうけどね。
機会的なノイズ、無機質なビート、歪みまくったギターに地を這うようなベース、爆音のドラムで、トレントの澄んだ、しかし悲痛な声が響く。
私がこのアルバムについて、インダストリアルというタームを使いたくないのは、Ministryとの対比があるかもしれない。
Ministryの音楽も上述のような特徴がある訳だけど、同時に油臭い文字通りインダストリアル(産業)的なにおいがするし、凶暴で破壊的で、自己中心的な攻撃性が強く出ている、という印象がある。
それに対して、NINの作品通じてそうなんだけど、トレントの音には油臭さはないし、無機質だけど冷たい訳でもない(と、自分が感じるだけかもしれないが)。
攻撃的ではあるが、破壊的というわけでもなく、むしろ破滅的というべき感覚があるんだよね。
つまり精神性の違い、というか。
ここで他のギターロックのオルタナ勢との共通項を見いだすことができるように思うけど、まあそれはいいや。
とにかく、この音楽性は今に至も決して色褪せない圧倒的な存在感を放っている。
少なくともインダストリアルという言葉で語られる音楽において、このアルバムを超えるものはもうあり得ないだろう。
また、音楽的な革新性や独創性もさることながら、詞の世界も強烈なものがある。
一貫して自他両方に向けられる破壊願望、破滅願望が唄われるような世界観は、まあ聴けない人もたくさんいるであろう。
そういう意味で、NINの音楽はコアであるといわれるのであろう。
恐ろしいのは、この世界観は一度ハマると抜け出せなくなるくらい、深いものであるということであろう。
後述するけど、このアルバムが社会に与えた影響は、結構でかいのである。
このアルバムは、"Mr. Self Destruct"という曲で幕を開ける。
歯車がいびつにかみ合うような機械音とともに、囁くようなヴォーカルで始まるこの曲は、タイトルからして既にヤバい。
「お前の望むものをすべてくれてやる」という言葉が非常に印象的な訳であるが、これは他者に向けられていると読めるが、むしろ自信に向かっているであろう。
「and i control you」という言葉が頭の中から響いてくるようなサウンドプロダクションで、まずやられてしまう。
そうした処理も相まっていきなり足を引きずり込まれるような感覚に陥る。
この歌詞のテーマっていうのは、個人的にはある種の幻想めいた世の中の価値観を否定するようなところかな、と思う。
それも自分が信じている。
人間というのは厄介なもので、生きる目的とか意味とかそういうものを求めるものである。
しかし、そんなものは客観的には存在しない。
だから、色々なものに意味付けすることでそれを自分の存在理由として精神的支柱にする訳である。
それは恋人かもしれないし、金かもしれないし、あるいは宗教かもしれない。
でも、それらはドラッグの一時的な快楽と同じもので、冷めた瞬間急激に恐怖だったり孤独だったりが襲ってきて、たちまち自分というものが不確かなものになっていく。
それを免れるために、再び新しい理由を求めている訳である。
あたかもそれらはそれ自体が目的のようで、その実ただの手段でしかなく、しかしそのことを日々見ない振りをしながら生きている。
その向こう側へ行こうとすることは、自ら破滅を求めるようなものであるから。
そうして破滅へ導こうとする声が、自らのうちから鳴り響くという自体が、ある種の異常性を表しているのであって、このアルバムの方向性をきっちりしめした格好である。
非常にアグレッシヴな曲であるが、それだけに多くの人に入りやすく、それ故に破壊力も抜群である。
続く"Piggy"は、「Nothing can stop me now becouse I don't care any more」という一説に象徴されるように、半ば以上自棄的になりながら静かに降ちてゆくような感覚のある曲である。
1曲目とは対照的に、静かで、重く、暗闇から覗き込むような曲調である。
トレントは「Pig」という表現を好んで使う傾向にある。
この曲におけるブタやろうは誰なのか、言わずもがなであろう。
ちなみにトレントは「Nothing can stop me now」という表現もしばしば用いる。
この人はすごく真面目で自制的な人だといううが、一方でなまじ自制心が強いから、一度動き始めると自分でも止められなくなるほどとことんまでいってしまうようなところがあるのだろう。
彼が完璧主義者といわれるのは、その辺も関係あるのかもね。
3曲目"Heresy"でも,基本的には自己否定的な文言が並ぶ。
ただ、方向性というか、そのやり方が"Mr. Self Destruct"よりも直接的というか、より客観的に自分から距離を取っているような印象がある。
基本的にはキリスト教的価値観に対する否定である。
この人はそんなに敬虔でもないし、そういう家庭でもなかったはずであるが、アメリカ人にとってはキリスト教的価値観が社会の根底にはあるようで、ほとんどのものは何かしらそれに根ざしているらしいからね。
面白いのは、自己否定ととれるけど、一方で他者に向いているとも読めるところ。
でも、最後に「will you die for this?」と投げ掛けられるのが非常に印象的である。
4曲目"March of the Pigs"は、ライヴでも定番の、アルバム中もっとも攻撃的な曲である。
前作ばりのギターが炸裂するこの曲は、もっとも生な音を感じさせるが、ドラムなどはすべて打ち込みであるという驚愕のプロダクションの産物である。
聴いていると、「これが機械?」と耳を疑う。
確かに少し生とは感じが違うな、というのはよく聴けばそんな気もするんだけど、わかんないよ。
歌詞もすごく攻撃的なんだけど、精神としては「I don't care any more」だろうと思う。
だんだん楽しくなってきた、みたいな。
この曲もやっぱりブタなんだけど、トレントにとってのブタていうのは、餌付けされて、飼いならされて、それをあたかも幸せだと感じてしまっている奴らのことであろう。
そこになんの疑問も持とうともしない奴ら。
この曲のラストでは、「the pigs have won tonight. now they can all sleep soundly, and everything is all right」といって幕を閉じる。
意外とそういう奴らの気迫っていうのはすごいときもあるんだよね。