下山(GEZAN)+MERZBOW 【共振】live @渋谷WWW
今年の正月はいつになくだらだらと過ごしている。
12月は特にバタバタしていたので、できなかったことをここぞとばかりにやっている感だが、年末から趣味に邁進しており実に楽しく過ごしている。
今日は久しぶりに映画を観に行ったんだけど、正直言ってそんなに映画が好きかと言われればそうでもないという感じではあるんだけど、たまに気になるものがあるので観に行くのである。
観に行ったのは『シュヴァルの理想宮』という映画。
実際にフランスにある不思議スポット?の一つについての実話に基づいた映画である。
私も知らなかったんだけど、この宮殿は世界的にも有名なようで、芸術的な価値も認められた作品であるらしい。
その作りは実に多様な要素を含んでおり、ある種宗教的ですらあるわけだが、それを作ったのは一人の偏屈な男であったらしい。
彼は周りからも変わり者と言われていたらしいが、映画はそんな男の悲劇から始まる。
いうても彼には妻子があったわけだが、その妻に先立たれて、子供も彼だけでは育てられないと親戚から言われて取り上げられてしまう。
彼は、ひょっとしたら発達障害みたいなものだったのかもしれないが、社会性はおよそ低く、なかなか彼を理解できる人はいなかった。
そんな失意の中で新たな女性と出会い、幸福にも彼の人生を変える子供にも恵まれる。
毎日何十キロも歩いて郵便物を届けるのが彼の仕事だが、その中で夢想した彼の理想宮を作ろうと決意する。
生まれた娘のために、そして彼自信の思いのために始めたその作業ではあるが、再び不幸が彼を襲う。
最愛の娘が病気で死んでしまうのだ。
最初の妻に先立たれたとき、彼はなす術がないように無表情であるしかなかったが、そのことによって周りからは冷たい奴だ、人間じゃないなんて言われてしまったのだが、そんな彼が慟哭するのである。
死んでしまいたいと思いながらも、妻から諭されながら再び娘のために宮殿を作り続ける。
その後も彼は悲しい不幸に見舞われ続ける。
最初の妻との間の子とも邂逅し、しかもその息子は自分なりの事業も立ち上がらせる。
子供2人にも恵まれ、なんとそのうちの1人は彼の死んでしまった子供に似ているのである。
その息子の存在により、彼の孤独の事業は世界から注目を浴びることになったんだけど、なんとその息子も急な死に見舞われてしまう。
訃報を知ったシュヴァルはしばらく身動きすらできないほどのショックを受ける。
それでも彼は宮殿の完成を目指して再び動き出すが、ついに彼を支え続けた最愛の妻にも先立たれてしまう。
その頃の彼には、かつてのような弱さはなく、素直に感謝の気持ちを述べられるほどに人間的にも成長を遂げる。
そして、宮殿の完成を急ぐのであった。
最後は無事完成させ、かつて自分の娘に夢見たことを、その孫によって叶えられることによって、彼の事業はせめて報われる形となった。
側から見れば単なる偏屈ものでしかなく、理解者がいなければただの変人だったわけだが、今では歴史に名を残す芸術家の1人となっているのだとか。
人生において重要なことは、自分が何をするか、何をしたかだというのは間違い無いことだと思うけど、一方でそれを認めてくれる存在、それを受け入れて見守ってくれる存在がとても重要だということを、この映画はよく映画いているなと感じる。
自分を貫くためには、その意思は最低限の条件だとしても、周りの理解や受容ってとても大事だと思ったわけである。
何か大きな落ちがあるわけでもないし、エンターテイメント的かと言われればそうでもないかもしれないけど、こういう静かながら何かの心理に触れるような映画は好きだね。
それこそ『This Must Be The Place』も近いものを感じるけど、一つのことをやり続けるしか無い彼のその才能は周りがちゃんと認めていた。
彼を知らない人は訝しがるが、彼を知る人はそれが当然としか思っていない。
彼ならやるよ、てね。
こういう人は生きていくときにとても苦労すると思うし、実際苦労しただろう。
素直であることは難しいのである。
映画の内容と直接的に関係はないけど、日本のアーティストでもそんなことを感じることがたまにある。
その1人がマヒト率いるGezanである。
デビューアルバムからとんがりまくっていた彼らは、今ではインディーシーンの大きな台風の目になりつつあるだろう。
インタビューを読んでも、実際に彼の姿を観ても、器用に周りに合わせながら生きていけるタイプには見えないし、かと言って悪い奴でもなければ音楽的、文学的、芸術的な才能は素晴らしく、昨年も全感覚祭という投げ銭フェスを成功させている。
何を持って成功とするかは難しいが、きちんと開催してみせて、多くの人を巻き込んだ時点で大成功だろう。
生きづらい奴には生きづらいなりの理由があるだろう。
私はなんだかんだそれなりに如才なくこなしてしまうところはあるが、器用にやれているとは思っていない。
できるだけ人のことは理解したいと思うけど、それはできないこともわかっている。
たくさんの不幸に見舞われながらも、たくさんの幸福を掴むのは、こういう一途な人だけなのかもしれない。