天気も悪いしやり残した仕事もあるので1日家にいたわけだが、さりとて何もせずに過ごすのもやはりもったいない。
撮り溜めたテレビを見ながら過ごしつつ、久しぶりに映画をDVDで見たりして過ごしていた。
そうして観たのが『500日のサマー』という映画。
映画賞なんかも獲得した映画らしいが、少し変わり種の話でもある。
一応切ないラブストーリーという紹介のされ方をしているが、映画冒頭で「これはラブストーリーではない」とナレーションで宣言されるという変わり種。
じゃあ一体何の映画なんだという話だ。
物語をざっくり説明すると、ある男がある女の子に不意に恋に落ちて、そのことによる色々の心の揺らぎを日を追う形で表現している。
タイトル通り、最後は500日後がくるわけだが、その間を行ったり来たりしながら描いている。
主人公トムは、勤務先である女の子と出会う。
帰り際に音楽を聴きながらエレベーターで降っていると、音漏れに気づいたその子に話しかけられる。
「The Smithでしょ?私も大好き」なんてね。
海外でこのバンドがどう言う位置づけなのか知らないが、おそらくただのポップアーティストというよりはなにかしらの属性を位置付けるような意味合いもあるのだろう。
彼はそのことで彼女に運命を感じて恋に落ち、晴れて彼女と付き合うような状態にまでいくが、結果としてそれはなされておらず、いつの間にか彼女、すなわちサマーは別の誰かと結婚しており、主人公は荒れに荒れるわけである。
そのことがすっかり露見してから図らずも彼女と会った時に、放たれた一言が強烈であった。
「あなたは運命じゃなかった」。
ガーーーン!というわけだが、面白いのは、ではなぜサマーはその相手と結婚したのかであるが、理由はトムがサマーと出会った時に感じたこととほとんど同じようなことだ。
たまたま入ったカフェで読んでいた本について話が膨らんだことだったという。
エレベーターでThe Smithのことを聞かれて運命だと感じたトムと、ほとんど同じ状況なのだ。
悲しいかな片方は運命だと思い、片方は趣味が同じ友達としか思わなかったわけだ。
運命というものの正体をそこはかとなく感じさせる出来事だ。
映画のラストは、転職面接先で出会った別の女性と次の約束をするところで終わる。
彼女は以前にもあったことがあると言うが、トムには心当たりがない。
運命だと感じる出来事はいつも一方的で、たまたま相手と何かで通じ合えばいかにもそれっぽく見るだけで、その正体はただの偶然でしかない、というのがこの映画のわかりやすうメッセージであるらしい。
偶然と偶然が重なった時に、何かが動き出して、それが運命として捕らえられるのだ。
人は自分の都合の良い解釈をしがちなものだし、できればそうなった方が人生は楽しい。
だけど、運命なんて所詮主観的な価値判断でしかなくて、いつだってあるのはただの偶然である。
自分にとって希少な体験でも、相手にとってはありふれているなんてことはざらだ。
だからこそ大事なことは、その運命だと思えることを手繰り寄せるタフさかもしれないし、仮にそうでなかったとしてもへこたれないことなのかもしれない。
人生はなんだかんだ結果で語られるし、人は自分にとって都合の良いことを積極的に信じたい生き物だ。
でも、それこそが生きるために必要なことだし、幸せになるためにも必要な資質なのかもしれない。
その時には「これは運命じゃなかった」という一見冷めたようなサマーのような態度も等しく必要なんだろうね。
この映画については賛否があるらしく、そもそもサマーが魅力的ではないとか、ムカつくとか色々あるけど、問題はそこではない。
好きになったらどんなクソみたいなやつでも好きになのが人の性だ。
冒頭でも「Bitch」とか言われるが、それも一つのパースペクティブを示すためだろう。
私は運命論者的なところがあるが、この映画を見るとそんなことは些細なことのように思える。
結局自分の起こした行動以外の因果なんてこの世にはないのだ。
早く一緒にいて幸せだと思える伴侶を、見つけたものだ・・・