久しぶりにフラれるという経験をしつつ、どこか冷めた自分について考えながらこれを書いている。
昔からなんとなく勘付いてがいたが、私は人の感情の距離見たいなものを言葉なり態度なりから感じることができる特殊能力があって、それが結構な割合で当たっている。
今回も知人の紹介で知り合って、何度か食事をしたりいいムードになったりしてきたけど、私の煮え切らない態度と相手の求めるものとのギャップはそれとなく感じている中で、相手にはいつの間にか別な相手がいたという話である。
ちょうどLINEでのやりとりでそこはかとなく感じるものがあったが、やっぱりかと。
う〜んと頭を悩ませつつも、一方でそんなにショックでもない自分を見ながら、私という人間はどんなやつなんだと思っているわけである。
自分でいうのもなんだけど、多分私は自分で思うほどにモテなくもない。
マスかコアかで言えば明らかにコア寄りだし、別にイケメンでもないのでわかりやすいモテを発揮することはないのはさすがに自覚しているが、たまにやけに強烈に女の子に言い寄られる的なことがあるのだ。
よくないのは、そうは思いながらも自分にはそんなことは起こらないよと変に距離をおこうとするからチャンスを逃しているきらいはあるが。
それこそ知人の勧めで逃げ恥を年末に見たんだけど、その時のセリフ「自己肯定感の低すぎるあなたを好きでいるのに疲れました」というみくりのセリフに勝手にぐさっときていたりする。
それ、誰かに言われたなとね。
別にモテるアピールがしたいわけではなくて、割とどんな人でも認めてくれる人って世界のどこかにはいて、わかりやすくモテる人でなくてもそういう人と巡り合うチャンスって必ずしも希少ではない、ということだ。
問題は、その時にちゃんとそれを受け入れて掴むかどうかの差であるように思う。
普段からモテている人は、そこの運命みたいなものを嗅ぎ分ける能力が自ずと磨かれるんだと思うけど、そうでないとその瞬間の煌めきを逃してしまうか、もしくはそれと気づかずに見送ってしまうのではないかという話である。
運命を運命と思えるかどうかは人それぞれ、という話があるわけだけど、まさにそんな感じだ。
『500日のサマー』みたいなね。
ともあれ、最近いい年にもなってきているし、いい加減そういうものにも素直になろうと、バカを見てもいいからちょっと調子に乗ってみようを思うようになったのは最近だけど、勘違いしているくらいの方が楽しいのかなと思うようになったよね。
最近入社した女の子がいるんだけど、たまにすっごい私の方を見ているし、基本的に私と話をするときは嬉しそうにしている。
たんに私の鼻毛が出ているだけの可能性もあるが。
また、この間前職の子らと飲み行った時にも、1人ずっと私の隣にいる子がいたし、また明らかに距離が近いのだ。
私は人畜無害としても有名だけど、たまにこういう距離感を取る子があって、決まって甘えたい欲求である場合が多い。
いずれにしろ確認したわけではないので確かめるべくもないが、ともあれそう思って生きている方が人生は楽しい。
男なので、やっぱり女の子には好かれていたいし、ちやほやされなくていいけど何かあった時に頼られる存在でありたいと思う。
そうは思っても、私は本質的に自分が可愛いし、心底誰かに心を奪われることもないだろうなと思っている。
今回もフラれた割にはさしてショックでもないしね。
ショックじゃない時点でちょっとどうなんだという話ではないかと最近思うようになったけど。
本当、私の感情は空洞なのではないかと、たまに心配になってしまう。