音楽放談 pt.2

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青春の轍 –筋肉少女帯

昨日のライブを経て、改めて筋肉少女帯を聴いている。

 

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私が中学〜高校時代はそれこそ縋るように聴いていたバンドである。

 

もちろんリアルタイムではなく、当時はオーケンは特撮をやったり電車をやったり、筋少活動は全くやっていなかった時期である。

 

今振り返ればそんなでもないあろうと思う我が青春時代だが、当時は本当に鬱屈していて、世界中の全ての人が自分のことを嫌いだとか気持ち悪いだとか思っていると本当に思っていた。

 

でも、それを表に出すのはカッコ悪いと思っていたので、努めて平生を装っていたが、内心では友達にも後輩にすらも常にビクビクしていた。

 

今考えれば全然そんなことはなくて、むしろ自分で言うのもなんだが割と周りからの信頼もあったし、勉強もそこそこできたし、いじめられっ子だろうがヤンキーだろうが分け隔てなく接していたので、結構独特な立ち位置にいたはずである。

 

女の子にも普通に話しかけられていたしね。

 

思い込みって怖いよね。

 

 

そんな私の青春を彩っていたのが他ならぬ筋肉少女帯の音楽で、進研ゼミのTVCM曲にもなっていた“蜘蛛の糸”なんかは本当に私には救いのような曲だったのだ。

 

当時この曲を何気なく部室でかけた時に、先輩の引いた顔が今でも忘れられない。

 

同級生は、単に私を変わったやつだと認識していたのでその程度で済んで良かったな。

 

そんな思い出が自分的にはヘヴィすぎて大学生になってからはめっきり聴かなくなったんだけど、それでも再結成してからは1度だけライブを見に行った。

 

でも自分事化できなくて、ある意味ではそれが決定打になってますます遠ざかったのであった。

 

別に嫌いになったわけじゃなくて、ある種大人になったなという感覚になったという感じかな。

 

しかし、俗にいう一周回ってというやつか、私自身ももっと大人になったし、人生にも対して期待しない年齢になってくると逆に聞けるようになるものである。

 

それで改めてあれこれ聴いていようとなっているわけだ。

 

 

で、まず聴いたのが私の筋少初めましての作品でもあった『サーカス団、パノラマ島へ帰る』というアルバム。

 

江戸川乱歩の世界観に影響を受けている彼らだが、文学オタクらしくそれ以外にも色々な固有名詞が歌詞には登場する。

 

私の音楽的な価値観を広げてくれたのは間違いなくオーケンなので、そんな最初のきっかけに振り戻るようで面白い。

 

 

で、このアルバムだが、こうして聴いてみると全体的に暗い。

 

トラウマを逆に発露してやるとかそういうベクトルじゃなくて、単に疲れているというか病んでいるというか、元々明るくない世界観なのに、もはや諦念の漂う曲調は、当時の彼らはいったいどんな状態だったのだろうかと今更心配になる思いだ。

 

アルバム通しての共通した視点も、厭世的で諦めきっている。

 

のちにももクロというアイドルの曲にセルフオマージュ的に提供された“労働者M”なんて、今聴いているとなんかグッとくる。


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楽しそうにうたってんじゃねぇよ。

 

これが“労働讃歌”という曲に変わったのを思うと、翻って闇である。

 

まあ、実質1曲目に当たる“ビッキー・ホリデーの歌”も、この世は全て作り物だから仕方ないさと謳われている。

 

理不尽を受け入れるための魔法の言葉は仕方ないしかない。

 

そんな世の中が嫌だとばかり歌っているかと思ったら、しばしばインストの穏やかだったり爽やかな曲が挿入される。

 

彼らの基本はメタル色が強いが、オーケンもうっちーもプログレとかも大好きなので、このアルバムはコンセプトアルバムとして作られたんだろうな。

 

高校生当時も、私は筋少をメタルとしては聴いていなかったし。

 

ライブなんかで見ると、橘高さんの見た目とパフォーマンスも手伝ってメタル色が強く感じられるが、音源ではそうでもない。

 

結構ごちゃ混ぜというか、ある意味ミクスチャーではないだろうか。

 

そんなアルバムのラストは“元祖高木ブー伝説”である。

 

それまで一人で部屋で、どうせ世界なんてクソだとブツブツいいながら鬱屈していたはずが、この曲では急に現実の世界で喚き散らすような展開になっており、なんかこれっておとなしかったやつがある日急に世の中に牙をむて重罪犯罪を犯すようなありようにも見えて、ちょっと怖いな。

 

しかし、いまだにちょっと共感的に聴いてしまう自分もいて、結局人は変わらないということを感じさせられるような思いだ。

 

まあ、根本は変わっていなくて、いまだに私は世界に必要とされたくて、でも世の中の誰よりも自分は劣っているという感覚がずっと拭えない。

 

そんなことはないはずだとあくせくしてみるが、どうにも不安あんだよな。

 

そこから逃れるためには、この世に対して無関心を装うくらいじゃないとなかなか難しい。

 

因果なことである。

 

なぜこうなった?

 

ともあれ、この音楽を客観的に聞けるくらいにはなっているのだから、昔とは違うけどな。

 

いうてもそこそこできることはたくさんあるし、それなりに人に頼られるような場面もあるんだから、人は成長するのである。

 

 

今に至るも新しい音楽をあれこれ聞くのも楽しいけど、昔に聴いていた音楽を改めて聴きながら、当時はこう思っていたけど今なら同思うんだろうかということを見てみるのも面白い。

 

私はつまるところ自分に歯科興味がないのかもしれない。

 

だって、他人のことはどれだけ考えてもわからないから答えが出ないのだ。

 

自分のことなら本当にそれが正解かどうかは別にして、少なくとも分析する材料はたくさんあるからね。

 

答えの出ないことをいつまでも考えても仕方ないというのは、私がこれまでの人生で身につけた処世術なのかもしれない。

 

いずれにせよ、本質はあの頃とは変わっていないのは確かだろう。

 

そんなに嫌じゃないけどね。


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