音楽放談 pt.2

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エンタメと政治

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先月の話になるが、友人の好意でRhymstarのライブへ。

 

新作のリリースツアーに先立つ公開ゲネプロという企画ライブである。

 

セットリストや演出などを一旦やってみて反応を見ながらブラッシュアップしようという、要は公開リハなのだけど、いうても曲はしっかりやるし、客演も出てきて普通に楽しいライブである。

 

私は彼らの熱心なファンというわけでもなく、過去にライブを一回観たことはあるが、音源は友人から借りたものをいくつか聴いたことがある程度。

 

しかし宇多丸さんのラジオはちょいちょい聴いているし、先のブルハのライブではDさんが客演で登場すれば盛り上がる。

 

それはともかく、どちらかといえば知性派でギャングスタではないヒップホップアーティストとして、もはやレジェンドの域なのは十分認知している。

 

彼らが自らキングオブステージと称するように、ショーマンシップ溢れるライブは初見でも楽しい。

 

日本のインディとメジャーの間くらいの存在だと思うが、高い音楽性だけでなくそうした人なっこさが人気の多くを担っているのは十分にわかる。

 

そんな彼らが、今回のアルバムではとてもシリアスな曲を作っている。

 

ロシア・ウクライナ戦争を目の当たりにして、どうしてもこの気持ちを表現したかったとのことで、ライブ中も終始コミカルだったMCもこのときだけは明らかな緊張感が伝わってきた。

 

彼らが通常どの程度社会的な曲をやっているのかはわかっていないけど、ある種のリスクというよりは観客の何も考えずに楽しみたいという層への配慮かとは思うけど、言葉を選びながら曲を作った背景なんかも説明していた。

 

その後に演奏されたのは、NulbarichのJQとの共演した曲だったが、その曲の直後にはまたコミカルな展開に即座に展開していった。

 

 

個人的にはすごく思うところがあって、私は割と社会的、政治的な曲は普通に聞くし、ライブでもそうしたスタンスを普通に表明するアーティストのライブも行っている。

 

まあ、好きなアーティストがそうするからなんだけど、ただいずれもメジャーかインディで言えばインディだ。

 

具体的には、先のTha Blue Herbアナログフィッシュ、AA=あたりだ。

 

最近また80年代の日本のパンクなんかも聴いているけど、私はその手の音楽も好きなので、別にいいんだけど、なんというか、違和感ではないが、ちょっと私なりに改めて考えることもあったのだ。

 

ライムスはライムスで、彼らなりに表明したいことがあることは、アーティストとして正しいと思う。

 

一方で、このライブの会場で、本当にそのメッセージだったり思いだったりが通じたのは、どれくらいだったのだろうかと。

 

もっと言えば、こんなライブ会場でちょっとそれっぽい感じになったところで、何が変わるんだろうかと。

 

 

こちらは結構根が深いと思っていて、実際日本は結構やばい。

 

相変わらず平和だ、ある程度の層にとっては引き続き暮らしやすい国だ。

 

私も好きな国だ、いい国だと思う。

 

だけど、一方でいわゆる日本人的な奴らは正直嫌いだ。

 

自分のことではないのに、誰か有名なすごい人が褒められると謎に自分事化して自分がすごいみたいに振る舞う奴らが嫌いだ。

 

そして、この小さなライブ会場で彼らが彼らなりに何かを訴えて、一体何が変わるのだろうかと思ってしまったのだ。

 

普段からずっとそうしたメッセージを発していれば、それはそれでそういう人たちが集まる場所になるかもしれない。

 

でも、多分だけどあの場所はそうではない。

 

そして、戦争が起こったところで、私も含めて多くの日本人にとっては物価が上がって大変だなとしか思っていない。

 

実感として感じるのはそのレベルだ。

 

なんとなく社会派っぽい気持ちに一瞬なったとして、それは何かを変えるだけのパワーは持っていない。

 

実際彼らなりに何かを思って発したメッセージも、次の曲が演奏されたその瞬間にはみんな忘れている。

 

戦争はよくないよね、と思うくらいがせいぜいだ。

 

そのあたりのリアリティを秀逸に描いているのは、やはりアナログフィッシュの”戦争が起きた”だ。


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いかにも日本的な風景を描いた曲として、私の中でこの曲を超える曲はない。

 

一応言っておくが、ライムスに対しての批判的な気持ちはかけらもなくて、むしろ彼らくらいのアーティストが、あえてそこに踏み込んでいくことの勇気もあると思うし、そうしようということに大きな価値があるのは間違いない。

 

だけど、要は伝わらないという話である。

 

その伝わらなさみたいなものが強烈に感じられるし、その上でそこに手探りにならざるを得ない彼らの姿も、ちょっと悲しかった。

 

もうこれまでと同じ時代じゃないという、多分多くの人が持っている共通認識を謳った、ひょっとしたらアンセムになったかもしれない曲だと思う。

 

もっと広く聴かれるべき曲なんだとも思う。

 

JQのおかげでいい落とし所になった、というようなことを言っていたが、それでよかったのかなと個人的には思った。

 

曲としての聴きやすさみたいな観点で言えばそうかもしれないけど、でも徹底的に突きつけることをしないと、残念ながら今の世界は生ぬるい感動ポルノに収斂されてしまうと思っている。

 

せっかくの思いが、そんなものに消化されていいのだろうか。

 

 

そんなことがふと頭を過ってしまい、ちょっと複雑な気持ちになったんだよな。

 

でも、日本では音楽で政治や社会的メッセージを発信すること自体のハードルが高いのは私なりに理解しているつもりだ。

 

私もそんなに意識が高いわけでもないし、政治のことはよく分からない。

 

だけど、ただぼーっとしていて安心できるほど能天気でもない。

 

何かできないかなと思っていて、まだ何もできていないんだけどね。

 

 

世界は何かの節目に来ている。

 

日本もそう。

 

彼らくらいのアーティストが当たり前にそれを発し始めたら、少しだけ何かが変わるかもしれないとは思う。

 

がんばれ、ライムス。


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