この記事は半分くらい愚痴みたいな話である。
私は割とわかりやすいものよりもわかりにくいものの方を好む傾向がある。
厨二病を拗らせていることは否定しないが、わかりやすさはともすれば本質をわかりづらくしてしまうと思っているからだ。
この手の話はわかる人はわかると思うけど、わからない人には永遠にわからないと思うのだけど、ともあれ難しいもの、複雑なもの、わかりにくいものはそれとしてちゃんと捉えることが大事だし、そのわからなさにこそ本質があると思っているので、それをわからないと感じる経験こそが重要だと思うわけだ。
仕事においてはそれは諸刃の剣だし、専門的で複雑なものをいかにわかりやすく咀嚼するか、ということは大事なことである。
一方で、どこかのタイミングで難しいものはその難しさを理解してもらわないといけないし、そうでないと違う問題も出てきてしまう。
それを乗り越えてくれれば、信頼関係も築けるし、漠然と丸投げするのではなく分かった上で任せてくれるから、クレームもまず起こらない。
わかりやすいところだけを伝え続けると、ちょっと都合が悪くなった時にいとも簡単にそれまでのあれこれをひっくり返されるのはよくあることである。
そんな場面もよく見ているしね。
まあ、そもそも私自身、ある程度わかりやすく咀嚼して説明はできるけど、それにより舐められるくらいなら一回相手を突き放すくらいのことはどこかで潜ませて、一番向こうが期待するところはわかりやすくする、ということは地味にやっているのだがね。
私は派手なアピールとか、自己主張みたいなものが得意じゃない。
タイプ的にはリーダーというよりは、そういう目立ちたい人の影で粛々とやっている方が得意なタイプだ。
結果はそれなりに出すし、お客さんとも喧嘩せずにちゃんと自社のメリットも相手のメリットも提供できる落とし所を作っている。
爆発力はないかもしれないが、その分継続性は高い。
それが私のこれまで培ってきた強みだし、この戦い方が自分には合っているからこうしている。
色々試してみたけど、長続きしなかったんだよな。
私はしばしば冗長に話してしまうし、それは気をつけないといけないところではあるが、一方でポイントポイントは要約しながら話すので、相手もちゃんと質問してくれる。
時間はかかっても、徐々に向こうから質問だけの連絡をくれるようになるし、それは相手が理解しようと勤めてくれている証だから、ポジティブでしかない。
仲間には気を使うよ、だけど一方通行はきつい。
せめて会話くらいスムーズにしたい。
自分が正しいとは思ってない。
だけど間違っているとも思っていない。
時間は有限だが、一方で焦っても仕方ない。
どれだけ本質的な納得感を醸成して、理解してもらって、相互にポジティブに発展していくかだろ。
今続いているところも、めちゃくちゃ関係値良好だぞ。
細かなフォローとかも色々しているし。
直近でようやく動き始めた案件も、私がやっていなければやっていないアプローチだっただろうし、そもそもそのアイデアもスキルも誰も持っていなかったから、それで前に進んだんだぞ。
といっても私だって色々勉強して、考えて、これでいけるんじゃないかと武器を作ったんだから。
舐めるなって、多分この会社の誰もそんなことは気づいていないだろうけど。
わかりにくいものはわかりにくいものとしてまず受け止めて、そこからどう理解を深めるかだ。
その努力がないと、仕事もうまくいかない。
エンタメでも音楽でも全部一緒で、わかりやすさはそれはそれで大事だが、それが全ての価値じゃない。
何度聞いても意味不明な音楽もあるが、それでも定期的に挑んでみるから趣味としても楽しいのだ。
そんな偏屈な私には、今の環境はちょっと厳しい。
最近はそんなことばかり頭をよぎる。