音楽放談 pt.2

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私の成り立ち ~ただの自分語り編 pt.1

 

先日のLUNA SEAのライブへ行ったわけだが、最近は改めて昔聴いていた音楽を掘り起こして聴いている。

 

いっときは売れている音楽なんて(笑)とか厨二病全開の時期もあり、その後だいぶ拗らせていたわけだが、流石に40手前にもなればどうでも良くなってくる。

 

それこそアイドルですら聴くようになったのだから、人は変わるものである。

 

尤も、私は元来ミーハーなところもあるので、実は根が出てきただけかもしれないが。

 

それでも良さがわからないものは、そもそも私とは違う世界のものだと改めて気が付くだけである。

 

 

そうして過去のものとかも聴いているおり、ふとSNSで音楽遍歴を晒す、みたいなハッシュタグが流れてきた。

 

折に触れて自分が過去に聴いていた音楽を思い出しているが、年代別に思い出してみるのも面白いかもしれない。

 

・・・たまに思うが、私はやはり自意識が過剰かもしれないが、そもそもこんなブログを長いこと、誰の目に触れるわけでもないのに書いている時点でそれは自明ではと今更ながらに思う。

 

それはともかく、こうした自分語りを人にしない代わりに、こういうところで出しておく方が自己認知には役立つのだ。

 

対話ではないから多少歪むが。

 

ともあれ、自分ってどんな音楽聴いてきたっけ?と思い出すだけの、極私的な内容である。

 

 

10歳までの私と音楽

小学生の中学年くらいまでになるのかな。

 

当時はCDのレンタルが流行っていた記憶で、まだTUTAYAとかGEOとかもなくて、れいこう堂とかいうレンタルショップで借りて、それをカセットテープに大ビングしていた記憶だ。

 

両親も音楽を聴くこと自体は好きだったので、そういう音楽が耳に入ってきたり、あるいはアニメの主題歌なんかを中心に聴いていた。

 

父親は流行りの曲というよりは、吉田拓郎長渕剛松山千春など昔から好きなフォークソングを繰り返し聴いているタイプだった。

 

一方の母親は、最新のオリコンの曲を満遍なく聴いているタイプで、ドリカム、竹内まりやZARD、B'zなどがよく車の中で流れていた。

 

時代的には90年代前半〜95年くらいにかけての時期になると思うが、この頃はスラムダンクドラゴンボール幽遊白書などジャンプ系アニメ全盛の時代で、そのほかにもアニメ主題歌で未だに覚えている曲もたくさんあるけど、親にねだって何か借りた記憶が正直あまりない。

 

それこそ主題歌で言えば、内容は全然覚えていないのにこの曲だけはずっと覚えていた。


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ゲームからアニメ化、実写映画化もされたストリートファイターのテレビアニメのエンディング曲”Cry”、この曲のサビの歌詞はずっと記憶にあったが、実は作曲がチャゲアスASKAだと知ったのはつい最近のことである。

 

ただ、この頃に自覚レベルで好きだと思ったのが、この曲だ。


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今も絶賛活動しているGLAYの”真夏の扉”。

 

ヤマトタケルというTBS系のテレビアニメの主題歌だったのだけど、アニメは親父が見ており、確か日曜日の早朝に放送されていた。

 

割とクセのある作画とストーリーだったと思うが、もう一度見てみたいアニメである。

 

それはともかく、エンディングもGLAYの”RAIN”という曲で、それぞれデビュー曲と2ndシングルだったと後から知った。

 

夏の扉カップリング曲”Life〜遠い空の下で〜”もいい曲で、今でもカラオケで歌う。

 

この曲はお店ではなく、兄の友人がCDを持っておりそれを借りて聴いたのだけど、かっこいいなと思ったことをはっきり覚えている。

 

 

当時耳にしていた曲は、歌詞だったりメロディーだったりは割と思い出せるものは多いのだけど、特定のアーティストを聴くということはなくて、漠然と好きな曲がいくつかある程度だった。

 

ただ、この頃からビジュアル系がJ-POPでチャートの占めるようになってきて、思春期に差し掛かるにあたって徐々に趣味が開花していった記憶だな。

 

 

10代前半の私と音楽

小学校高学年から中学卒業くらいまでの時期か。

 

この頃になると明確に好きだと認識するバンド、アーティストも出てきた。

 

それこそLUNA SEAMoon Childオーケンと出会ったのもこの時期だ。

 

最初は先のアニメきっかけに知ったGLAYが初のベスト盤をリリースしたのが97年、Moon Childの"escape"も97年、LUNA SEAの”Storm”が98年、Malice Mezerの”月下の夜想曲”が98年と、今の価値観につながるバンドたちを聴いていたなと今にして感じる。


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ちょうどうたばんとかHey Hey Hey、CDTV、タワーカウントダウンなどの音楽番組もたくさん放映されていたので、それを録画もしてよくみていたね。

 

ジュディマリとかあの辺のバンドももちろん流行っていたが、私はビジュアル系の音楽をよく聴いていたな。

 

ビジュアル的な華やかさもさることながら、ロック的な激しさがありながらポップだったので、そういうところが良かったのだろう。

 

その中でMoon Childだけは私の中では異色を放っている。

 

ドラマの主題歌として爆売れしたので、世間的にも流行っていた。

 

その後もCM、バラエティなど複数のタイアップも獲得しており、それこそレンタルショップでCDを借りて、サービスで貸しカードのコピーももらえたので、それを持ち歩いて、学校帰りにそれをみながら覚えようとしていたことをよく覚えている。

 

今にして思うと、なぜ当時そこまでこのバンドにハマったのかはわからないところもあるのだけど、ちょっとクセのある節回しとか、ファンキーな雰囲気とか、そういう多様性みたいなものが新鮮だったのかもしれない。

 

LUNA SEAも一時活動休止後に初めてまともに聴いたので、ハマったのは"Storm"以降だ。

 

ただ、明確に好きになったのはその次の"Shine"だった。


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リリース当時は、売上自体はそれなりにあったと思うが、周りの友達も含めて評判自体は芳しくなく、イマイチみたいに言われていた。

 

しかし、私はこの曲が大好きで、この曲でこのバンドを好きになったので、なかなか思い出深い一曲である。

 

 

この頃からお小遣いも少し増えて、人生で初めて買ったCDが99年リリースのMoon Childのベスト盤『Treasure Of Moon Child』と、LUNA SEAのライブ盤『Never Sold Out』だった。

 

時期的に多少前後はあるかもしれないが、ほぼ同時期だったと思う。

 

どちらもめちゃくちゃ聴いていたものな。

 

当時Moon Childはすでに解散しており、その報を知ったのは同じクラスの子からであった。

 

今でも鮮明に覚えているが、1時間目の理科室で、出席番号が一つ後ろで席の近かったやつから「Moon Child解散したらしいよ」と聞かされたのだ。

 

小学生から中学生の間くらいまでは、割とヒットチャートとビジュアル系の音楽が中心を占めており、情報はまだ受動的な頃だ。

 

SPEEDやモー娘。などがちょうど出始めて、すでにヒットもしていた頃だったが、女性アーティストの曲は当時聴いていなかったな。

 

浜崎あゆみ鈴木亜美なんかも出ていて、アイドル的な人気を博していたものの、そちらは全然聴いていなかったんだよな。

 

 

で、中学生の頃は少しだけラジオを聴くようになったのだけど、その頃に出会ったのが当時は筋少をやめて特撮を始動させ始めたくらいの頃のオーケンであった。

 

テレビでたまにみていたので存在は認識していたが、たまたまラジオをやっていることを知って、それからなんとなく聴くようになっていた。

 

その頃には思春期に差し掛かっておりだいぶ鬱屈し始めていた時期なんだけど、そこでオーケンが作家活動もしていることを知り、彼のエッセイや小説も読むようになった。

 

私の価値観が大きく動き始めたのはまさにこの頃で、今に至る大きなきっかけだったものだが、まだオーケンの音楽はラジオで流れてくる以外は手を出していなかった。

 

そして中学生になり初めて洋楽のCDにも手を出すのだけど、それは実に王道のThe Beatlesの『1』というベスト盤だった。


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ちょうどリリースされて、テレビでも特集番組が組まれており、また受験に向けて英語を勉強している中で、音楽を聴きながら覚えるのもええで、みたいな情報にも触れたからだろう。

 

ちなみに、当時はまだインターネットが一般家庭に普及し始めたくらいだったが、両親がパソコンとプリンタを買ってくれたので、それで調べるようにもなり、情報収集もしてた記憶だ。

 

ところで、当時たまたま知っているBeatlesを選んだわけだが、もしCarpentersとか選んでいたら私はまた違った音楽遍歴に至ったかもしれない。

 

というのも、オーケンのエッセイを読んでいる中でさまざまなアーティストを知ったのだけど、その一つがKing Crimsonであった。

 

そのクリムゾンに興味を持ったのも、Beatlesの最後のアルバムをチャートから蹴落として新しい時代の幕開けを云々、といった記述をみたためであった。

 

 

10代後半の私と音楽、友人たちからずれ始めるがいずれ出会う

高校生になってますます拗らせ始めた頃、音楽の趣味も周りからずれていく。

 

別に無理して聴いていたわけではないが、まわりちょっと違うぜ、というのがかっこいいと思っていた時期である。

 

厨二病という病があることを知ったのはそれから数年経ってからだ。

 

高校生になりお小遣いも増えたこと、またBook Offなんかも展開始めており、あまり大きな声では言えないが中古で安くCDが変える環境にあったんですね。

 

この頃からアングラシーンに手を伸ばすようになり、筋肉少女帯レピッシュなどのバンドブームから、頭脳警察スターリン、またYMOThe Mad Capsule Markets、さらにはKing CrimsonPink FloydMarilyn MansonNine Inch Nailsにまで至るのが高校生時代だ。

 

飛躍が激しいな・・・。

 

 

洋楽で2枚目に買ったのはKing Crimsonの『宮殿』である。

 

1曲目の”21st Century Skizoid Man”だったが、この曲のキャッチーかつ狂いっぷりが最高だが、以降は静かな曲ばかりで結構面食らった。


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聴いたことない類の音楽だったが、大仰な歌詞も相まって一生懸命聴いていたな。

 

そこからプログレという言葉を入り、売上でギネスに登録されているというPink Floydの『狂気』にも手を出す。

 

地元近くのTUTAYAで買ったんだけど、レジのおじさんに「こんなのおじさんが君くらいの時に出たやつだけど、よく知ってるね」なんて話しかけられたものだ。

 

私は我ながらなかなか記憶力いいなと思う。

 

一方で筋肉少女帯レピッシュジュンスカ人間椅子などのバンドや、そこから頭脳警察スターリンあぶらだこなどに広がっていったが、やはり反抗的なもの、あるいは社会性のある歌詞の音楽にも興味を持ち始めた時期だったな。

 

筋少はそのドロドロした世界観が私の世界の見方と、レピッシュはその皮肉っぽさが私の世界観とマッチしたので、ハマったな。


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そんな感じで、オーケンエッセイに登場しているバンドからよく聴くようになったのだけど、それ以外の文脈から聞くようになったのもこの頃で、そのきっかけバンドが実はマンソンだったりする。

 

いや、考えてみたらこれもオーケン繋がりだな。

 

特撮の”マリリン・マラソン”という曲があるのだけど、その曲名と似たような名前の人がおるんやな、え?なんかジャケ怖いぞ、すごい激しい系なの?と、いわばスキャンダラスな話題も伴って興味を持ったのだった。


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改めて聴いてみると、ちょっと"Beautiful People"オマージュな感じもあるな。

 


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マンソンのCDについてくるライナーノーツや、ネットでのレビューを見る中でTrent Reznor、Nine Inch Nialsの存在を知り、まさに運命の出会いとなったわけだ。

 

時期的には2002年くらいだったので、NINは活動休止していた時期だ。

 

そこで調べていく中で知って、買ったのが『The Fragile』だった。

 

さまざまなレビューで激しい音楽と言われていたのだが、実際に聴いてみたらずっと静かで重厚な音楽に少々面食らったのが始めだった。

 

しかし、歌詞を読んだり聞き込んでいくうちに、ちょうど受験中の心境も相まってどハマりしてしまった。


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アルバムとして本当に好きになったり、すげぇなと思えるようになったのはそのだいぶ後ではあるが、Trentの表現は私にハマるところがすごくあったし、その源流でもあるさまざまなバンドの出会いのきっかけにもなったので、このタイミングでハマったのは必然出会ったのかもしれない。

 

 

これらとは違う文脈で広がったのは、YMOからである。

 

YMOも確かベスト盤みたいなものがリリースされた頃で、TV番組も多く組まれていたことをきっかけに手を出した。

 

最初に手を出したのはなんとリミックス盤『YMO-REMIXES TECHNOPOLIS 2000-01』、ベスト盤かと思って買ったら違ったんですね。

 

しかし、結果的にこのCDをきっかけに知ったアーティストも多数あり、The Mad Capsule Marketsはその最たるものだ。

 

”東風”を聴きたかったのに流れ出したら全然違う感じで、なんだよちくしょー!と最初は思ったが、でもかっこいいなと思って、アーティスト名みて、調べたら結構有名なバンド名なんやと知り、CD購入に至る。

 

初めて買ったのは当時最新作だった『010』だったのだけど、デジタルハードコア期では最高傑作だと思っているのだけど、初めて聴いた時には衝撃だった。

 

すでにDragon Ashは流行っていたので、ミクスチャーという言葉自体は知っていたけど、それを遥かに飛び越えるアグレッシブで強烈な音圧、しかしポップでキャッチーな曲は、それまで感じたことのない感覚を私に与えてくれた。


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世の中には知らない音楽がたくさんあるんだなということを明確に自覚したな。

 

だいぶ長くなってしまっているが、やはり高校生の頃って多感と言われるが、いろんなものに興味が出てくるし、自分の価値観みたいなものを自覚し始める時期でもある。

 

私の場合はその共感を音楽に求めたのかもしれないね。

 

当時からミスチルとかは流行っていたし、みんないい曲だねと言っていたから乗っかってみようかとした時期もあったが、私には結局ピンと来なかった。

 

でも、人の目を気にする子だったので、それを悟られまいと心を閉ざし始めた時期でもあったな。

 

 

そして大学へ入学、人生初の一人暮らしや、バイトも始める。

 

サークルには入っていなかったので、ひたすら個人の趣味を追求するようになる一方で、高校生の頃にはいなかった好きな音楽の話ができる友人に出会うことになり、今でも交流のある数少ない存在となるわけである。

 

大学に入ってからはバイトも初めて、情報をディぐることも上手くなってきていたので、ますます広がっていったな。

 

ただ、この時はまだライブは1回もいったことがなくて、本格的に爆発するのは20代に入ってからである。

 

 

完全に自己満足だけの記事だが、長くなるので記事を変えよう。

 

いずれにせよ、こうやって振り返ると何かしらの文脈を繋ぎながら展開してきたんだなと思うし、何が出会いのきっかけになるかわからんものよね。