AIというものが身近なものになってはや久しい。
私は仕事でも扱うことが多いので余計に感じるのかもしれないが、つい数年前では考えられない世界になっている。
ただ、かつて期待されたような魔法の杖みたいな存在ではないし、人類を殺しにくるようなことにはなっていないが。
最近ではお悩み相談の相手としても力を発揮しているらしい。
人に相談するよりも自分をちゃんと肯定してくれて嬉しくなるんだとか。
しかし、そのことによる弊害も早速懸念されるようになってきたから、つまるところ一番の問題は依然変わりなく人間自身なのだろう。
AIを恐れている場合ではない。
それはさておき、ここ数年ではアニメ的なキャラと結婚する人も出てきたのだが、最近はAIのキャラと結婚したという人も出てきたそうだ。
好奇の対象としてしばしばニュースになるのだけど、その度に様々な価値観が飛び交っている。
狂っている、気持ち悪い、本人がいいならいいだろ、などなど。
私は本人が良ければそれでいいではないか、とは思うが、やはり狂っているとも思う。
私も独身で40を迎えたが、そろそろ老後の話し相手の心配もいけない頃になっている。
先に書いたようにAIが話し相手になってくれる時代はきており、数年後にはもっとすごいことになっているだろう。
そうなると、せめて電話的な装置を介してくれれば、人間なのかAIなのかはもはやわからず、肉体的な接触も求めなくなればそれでいいのかもしれない。
そもそも結婚という概念自体も、昔は社会維持の観点で重要だったのかもしれないけど、今の世の中にあってはどれほど意味のあるものなのかもわからない。
ただ、先にも上げたように相手に実態があろうとなかろうと、結婚という儀式(婚姻ではなく結婚した、と表現される状況が多いので)に何か意味を見出す人は多いのだろうな。
他方で、こういう表現をする私のようなものは、ぱっと見でそれに興味がないようで実は一番きょうみがあるのかもしれないな、なんて思うが今は置いておこう。
そんなAIとの恋人性格を描いた映画が10年前にすでに存在していた。
『Her 世界に一つの彼女』というタイトルで、アカデミー賞も獲得している。
主演はのちにジョーカーになってしまったホアキン・フェニックスで、助演にはルーニー・マーラーも出ていた。
この女優さん、好きだったな。
てかこの頃2人は結婚してたんですね、知らんかった。
それはともかく、映画は時折昔の奥さんとの思い出を交えながら、今の孤独を埋めるようにAIとの恋愛に没頭していく中年男性を描いている。
離婚調停中なんですね。
この世界はかなり進んでおり、すでに音声入力が当たり前になっている。
彼は仕事のeメールをAIがそのタイトルを読み上げて、Skip、Readと指示を出す。
仕事は手紙の代筆業で、密かに人気のサービスだ。
そこでの彼は人気代筆かで、詩的であたたかな文章がとても好評だ。
しかし家に変えれば孤独な1人暮らし。
そんな寂しさを紛らわすために、ある日秘書AIを購入。
女性、男性と性別を選べ、初期設定で自分の希望を述べると「彼女」は誕生する。
日常生活では優秀なアシスタントとして、友人として話しかけてくれる。
ゲームをしていると一緒に笑って楽しんでくれるし、落ち込んでいると察して励ましてくれる。
時にはちょっとした冗談も言ってのけるとても素敵な存在だ。
彼の性格などを学習してますます賢く、寄り添ってくれる中で、次第に彼はAIの彼女サマンサに恋をするのだ。
そしてサマンサも「あなたを愛している」なんていうわけだ。
この映画の世界では、このAIの恋人はちょっとした流行になっており、男女関係なくそうしたことを堂々と宣言することも普通な世界だ。
彼もスマホの画面に向かって彼女に語りかけ、時に照れはじらし、砂浜で楽しげに回ってみたりする。
スマホである以外は極めて純愛的なシーンだ。
中にはそれを受け入れられないが、彼自身はナイスガイなので曖昧に笑うしかない、なんていうシーンもあってやけに生々しい。
映画自体はとっぴなところもありながら、結末は示唆に富んで面白いので機会があれば見てみて欲しい。
この映画のテーマってなんだ?と考えると、人生で必要なものは?みたいな話かなと思っている。
性的な話も出てくるし、夢を追いかける友人もいる。
離婚の話では慰謝料(金)も出るし、仕事にはやりがいを見出している。
その仕事に求められるのは誰かの気持ちを伝えるコミュニケーションの媒介だし、ずっと話しかけて励ましてくれる友人(AI)もいる。
ただ、どれだけ自分だけの存在だと思っても、やはり他人は他人、自分と同化されることはないし、本質的にそういうものである。
そこには絶対的な断絶があって、人は生まれてから死ぬまで孤独だ、なんて言葉もそういうところから生まれるんだろうね。
それを絶望と捉えるのか、それでも一緒にいてくれる存在としてお互いを大切にしていくか、執拗に求めて絶望するか。
どの道を選ぶかは人それぞれである。
テクノロジーが進むと、現実と非現実の境がますます曖昧になって、何気なく感じていた欲求の正体がわからなくなっていくのだろう。
AIや架空のキャラとの結婚もそうだし、推し活だってある種のそうした現象だろう。
昔であれば子供に投資するべき時間や資金が、手の届かない架空みたいな存在に置き換わっている。
現実のアイドルよりも架空のアニメキャラの方が永遠だし、裏切らないしね。
ある種の社会病理のようにも感じるけど、もやは止めることはできないだろうし。
ま、そんな重たい話は別にして、10年以上前にかなり先見的にそんな題材を取り上げたこの映画は、改めてみてみるのも面白いだ。
アマプラならみられるので、お時間あればぜひ。
ちなみにこの映画のサントラはArcade Fire、Owen Palletが監修しており、しっとり穏やかながら、終始寂しげな音楽で映画全体を彩っている。
こちらも必聴だ!