音楽放談 pt.2

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かいじゅうたちにいるところ ―Karen O

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私は『Social Network』なんかもそうだが、映画そのものよりも音楽を目当てで観に行く場合が多い。

そもそも昔から映画を好んで観る訳ではないし、2時間くらいじっとしているのもあまり好きではない。

別に多動性障害ではなく性分なだけだが。

最近特にその傾向が顕著なんだよね。

で、映画を見てからサントラを聴いて、色々思い出しながらまた映画を見て、映画音楽としての楽しみ方をするようなところがある。

その意味で『Social Network』は非常に良く出来たサントラだったよね。

最新の『Gone Girl』も非常にいいサントラでしたね。

といってもやはり自分の好きなアーティストでなければ殊更そんな事はしないけどね。


ところが、それとは逆の筋道を辿ったのはSpike Jonesの監督で、ここのところよくタッグを組んでいるKaren Oの作った『かいじゅうたちのいるところ』という映画。

元々Yeah Yeah Yeahsは好きだし、ヴォーカルとしてのKaren Oも素晴らしいので、彼女のソロ作も含め聴いてるのですね。

ちなみにソロ作は激烈ウェットで、彼女の女性性全開のアルバムで、あんまり長くは聴いていなかったけどね。

もっとも、名曲”MAPS”もめちゃくちゃウェットな曲だから、やっぱりそう言う人なんだろうし、それを表現に転嫁できるからアーティストとしても名高いのだろう。


さて、そのサントラであるが、ヴォーカリストの作ったものなので全編歌もので占められている。

元々絵本を原作としている作品とのことで、子供達の声も入れたりして、名義自体もKaren O with Kidsみたいな感じ。

アルバムとしては全体的に控えめではあるがまとまりもあるし、穏やかな曲も心地良く、非常にいい感じである。

しかし、これが映画の中に入った時にどうなるかと言う話である。

私はケーブルテレビが観られるようになっているのだけど、そこで映画がやっていたのですね。

どんな話かも知らずに観ていたのだけど、サントラを先に聴きすぎたことと、そもそもKaren Oの声が耳馴染みしすぎているせいもあって、ちょっと馴染んでなかった気がしたな。

曲調そのものは決してミスマッチでもないけど、やっぱりヴォーカルが今一歩主張してしまう気がする。


ちなみに映画自体は、現実とファンタジーの間みたいな感じで、全体的に靄がかかったような話であった。

反抗期?を迎えて、どこか周囲と馴染めないような気持ちになってきた子供が、ある日親に反発。

悪態をついた時に「扱いにくい子ね!」と一括された事で外へ飛び出し、そのまま嵐の海へこぎだして、たどり着いたのは怪獣達の住む森林の村。

ここらの経緯をしっかり観ていなかったので、なんだか唐突な感じが否めなかったが、ともあれそこでも周囲の仲間達と衝突し、孤立しているものがいる。

仲間達の建物を周囲の反発を押して壊しまくる彼に同調して一緒に壊そうと飛びいると、その彼に気に入られて一緒にワーーーッと暴れていると、他の連中に囲まれて食べられそうになる。

そこで彼は自分が他の国の王だと嘘をつき、それによりその怪獣村の王として彼等と時間を過ごすのだが、一度は平和になりかけたその村も些細な事から再び争いが起きてしまい、最後には「お前は王じゃない!」などと言われてまたピンチに。

一生懸命まとめようとする最中、一人暴走するその怪獣に彼が投げた言葉が「君は扱いにくいよ!」であった。

しかし、それでもこれまでの彼の味方になった怪獣の一人に助けられる。

そして、彼は元の世界に帰る決意をして、怪獣達に別れを告げて元の日常に。

久しぶりに帰った家で、心配した母親に抱きしめられて、自分は愛されていたのだ、と言う事を実感したことで映画はエンディング。


絵本が原作という意味では、話のつなぎは何となくこんな感じなんだろうなと補えるところはあるけど、そのつなぎが微妙に唐突だったり、普通に人間の言葉を人間と同じトーンでしゃべる怪獣達に違和感を感じる場面も多分にあったな。

この映画のテーマは家族愛という所だと思うけど、ちょっとわかりにくい気もする。

心からわかり合えている事が求められる家族という関係性に置いても個人の衝突は起こるし、場合によってはそれが致命的な亀裂を生む事もある。

いくらつながる事を求めてその為に動いたとしても、そんなにうまく行く訳でもない。

皮肉めいた事や、人の嫌なところばかりを付いてくる奴もいるし、突っ走る奴もいるし、他人事にしか思わない奴もいる。

そんな共同体が一つになる事はやっぱり難しいよね、という結論が怪獣村では展開されるけど、最後は頑張った人の事はそれぞれの仕方で評価してくれるし、結局愛されるのはそういう存在であるということだろうか。

口うるさい母親を疎んじた少年が、自分自身が母親のような立場になったときに母の思いを理解して、現実の世界で素直にそこに甘えるというのが、少年の成長ということだろう。


それにしても、先日観た『her 世界に一つだけの彼女』もそうだけど、現実の中に僅かなファンタジーが入り込んでくるという世界観がこの監督の特徴なのだろうか。

設定そのものはあくまで現実のなんて言う事のない世界で、そこに非日常が潜り込んで、そこでの体験があって再び現実に立ち返るのだけど、その経験を通じて主人公が僅かばかり成長するような話である。

いずれも人間愛みたいなものが根底にあるのかな、という気はするけどね。

全体的なトーンというか、映像自体も通じるところがあって、他の作品もそうなんですかね。


正直サントラはいいけど、映画はあまりかな、というところであった。

単純にテーマに共感できるかどうか、という話かもしれないけどね。