このところ歌ものと過激なインストものと、聴くものがまた極端になっている。
先日Tera Melosの記事を書いたのだけど、その後もインストは日本のバンド含めて面白いのも多い。
インストではないけど、54-71というバンドのCDも買ってきて聴いているけど、やたら濃い音像に圧倒されたばかりだ。
そこには非日常的な世界があって、普段観ているものとは全く違う味わいもあって面白いのである。
私の中では音楽にも世界の見え方を変える力があるという考えがあって、実際意味不明な音楽でもふとした街の情景と合致する瞬間があって、その時にその音楽の意味を理解するような感覚に成ることは少なくない。
例えばBlack Diceの音楽って全く無意味な感じがするのだけど、都会の猥雑と妙にシンクロするように私には感じられるのである。
彼等もNYを拠点とするバンドなので、ひょっとしたらそういう環境がこういった音楽を生んだのかな、なんて思う分けである。
もちろん実際のところはどうかなんて知らないけど、そういう聴き方も許容されるのがインストもの、音楽其れ自体のおもしろさでもあるのかなと思う訳である。
一方で歌もので言うと、アナログフィッシュなんかは歌詞が印象的で歌があってなんぼである。
歌にこそ意味があるしね。
アナログに限らず、ヴォーカルの人の魅力と言うところにもよりフォーカスできるようになってきたよね。
彼女らは透明感がある一方で少し掠れたハスキーな感じがいい感じに心地良いのである。
片やStarsのAmy MillanとかCharlottehatheleyなんかは女の子って感じの可愛らしい声なのだけど、それはそれでいいしね。
女性ヴォーカルは基本的に柔らかく響くから、そういうものを聴くようになった自分の成長も感じますよね。
で、そんな声質とかで興味を持って聴くようになったのがSalyu。
あのアルバム以外にも『デザインあ』とかで数曲歌っているのを聴いても、彼女の声質はCorneliusの音楽と非常にマッチしていると私には思えたし、それが嵌っていたからこそ今こうして彼女のより歌ものを来てみたいという興味にもつながっているのだけどね。
元々彼女の声の印象としては、とにかくクリアな声というのがまさにこういうのを言うのだと言いたくなるような声がすごいということ。
彼女は「リリーシュシュのすべて」とかいった映画のキャラクタとしてデビューして、その時にもアルバムを出していたらしい。
当時はまだ無名であった。
その後Salyu名義でリリースし始め、”彗星”という曲で少しだけ話題になった。
多分10年以上前だったと思うけど、それを今こうして聴くようになるとは思わなかったな。
それはともかく、あまり大きなヒットはしなかったし、メインストリームという感じでもなかったけど、彼女は同業者にファンが多いタイプのアーティストで、それこそ先のコラボもそうだし、色んなアーティストのコメントでも彼女の歌声を褒め称えるものが多く観られる。
まさに天性のと呼ぶにふさわしいと言うその声を是非聴きたいな、と思って改めてCDを買ったりしたのですね。
私が買ったのは何枚目かは忘れたが、ライブDVDのついた『Photogenic』というやつ。
割と明るい曲調の多いアルバムで、小林武史さんっぽい曲が満載である。
そこで彼女のヴォーカルをキチンと聴いたのだけど、高音部と平常のところで声質自体を変えて歌うので、やっぱり喉が器用な人なんだなというのはわかった。
声質はすごく澄んでいて、やっぱり綺麗な声の人だなと思ったのですね。
だけど、正直に言うとアルバムで聴いている限りではそこまで言われるほどなのかな?という感想であった。
しかし、付属のライブDVDを観ると、小林武史のピアノ演奏と彼女の歌のみでやるというライブだったのだけど、やっぱり聴いた印象が大分違うのである。
それでもスピーカー越しに聴こえてくる歌声はどこまでもリアルさを完璧に伝えるものでもなかったのが残念だ。
だから、今度彼女のライブへ行って生歌を聴きたいと思った訳である。
ライブの良さはやっぱり音が空気を伝って体に響いてくるから、そこでこそ真価が見えるはずである。
それこそジャンルも全く違うけど、Dirtyu Projectorのライブは私の中では今でも非常に印象に残っていて衝撃を受けたのである。
あのバンドもコーラスを音楽的な要素としてかなり大きな比重で使うのだけど、音源で聴くのと生で聴くのとで全く迫力が別物で、生で聴くと鳥肌が立つ位だったのですね。
よくオペラ歌手なんかも発生方法が違うから、彼等の歌を生で聴くと本当にこんなに声って出るんだ、と驚くのだけど、そんな経験を期待したいのですね。
来週かどこかで神奈川の方でライブがあるようなので、ちょっと高いけどチケットとって行こうかと思っている。
途中から話があっちこっちしてしまったけど、歌ものの場合歌詞への興味もあるし、一方で耳心地という観点からすれば純粋にその声が好きかどうかという価値判断になる。
歌ものの難しさはそう言うところにあるのだろうけど、でもすごいものはやっぱりすごいし、其れは其れとして楽しむようになったのは私自身の音楽リスナーとしての成長だろう、などと。
いずれにせよ、音楽に限らず色んな角度で物事を評価できるようになると、楽しみ方も多様性が出てきて結果的に面白いと思えるものも増えて行くんだよね。
きっと同じものを受け取っても、その出力の仕方が絵画なのか音なのか、あるいは彫刻の人もいれば文章の人もいるかもしれない。
尤も印象派っぽい文章ってどんなだ?と言われるとわからないけど、芸術というのはそういうものなんだろうね。
ともあれ、チケットを押さえないとな。
”Lighthouse”