音楽放談 pt.2

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愛されたいより愛せ -I Say


最近休みの日に暇があるとナマケモノの動画などを観ている。

その名の通り、非常にゆっくりとした動作でご飯も1日8gと超少食、そもそも筋肉がないので代謝も低く、ゆっくりとしか動けないのである。

ほぼ一日中木の上で生活しているが、トイレの時だけ木からおりてきて、その根本にする。

自分の暮らす木にちゃんと栄養を戻すような意味があるとか、ないとか。

実にエコな生き物だ。

私はこのナマケモノが好きなのだが、見た目的にもなんだかほんわかしていて可愛らしいし、何よりこの世のどんな生き物よりも平和的であることだ。

彼らの喧嘩を知っているだろうか?

バッとあの長い手を広げて鋭い爪て引っかき合う、なんていうことはせず、ひしっと抱き合うような格好で硬直、しばらくすると離れていくのだけど、先に離れた方が負けなんだとか。

一体どういうルールなのか今一よくわからないが、こんな喧嘩で成り立つ社会なんて、とても平和的ではないか。

ちなみに冒頭の動画はナマケモノの威嚇らしい。

外人が撮影したようだが、例によってその大きな手を存分に広げ威嚇、しかし筋力がないので1分も経たないうちにコテっと倒れてしまう。

そのあともぞもぞしているのがまた可愛いのだけど、きっと彼にしてみればマラソン走った後くらいバテているんだろうなと思うが、戦うほどの力はそもそもないのである。

素敵な生き物である。

なお、ナマケモノの赤ちゃんがまた可愛いので、是非時間があればYoutubeで検索して観てほしい。


さて、そんなナマケモノとは対象的に、最近の日本はなんだか殺伐としている。

日本というと語弊があるのだろうとは思うけど、暇だとついネットニュースみたりしちゃうとそのコメントにしてもSNSの発言にしても、どうしてこんなに攻撃的なんだろうかと不思議になる。

人の失敗を散々攻め立てて、ちょっと不義理があれば人格否定、この世から消えろとばかりに囃し立てるわけだけど、そんなことしても何も得るものはないはずなんだけどね。

もっとも、そういう発言をするのはごく一部の人間なのだけど、ものを言わない人の方が多いから結果そういう物言いをする人の言葉が目立って、それをテレビはじめいわゆるマスメディアが世論として報じる。

それを見た情弱なおばさんがたがまた拡散して、気がついたらそれが世の中の趨勢のようになっている。

TVの人たちも実は同じような情弱、というよりは悪趣味なだけかもしれないけど、そうやってマッチポンプみたいなことばかりをやっていて、情けないというか、なんというか。

一方で気色が悪いのは、感動話とかお涙頂戴みたいな話は過剰なまでに美談に仕上げられる。

いい話はいい話なんだろうけど、それを押し付けた瞬間に価値が変わってしまう。

それこそ美人がその美人さを過剰にアピールしたら、人はどう思うだろうか?

美人なのはわかったけど鬱陶しいと思うだろう。

それと同じである。

心理学の実験で確かめられている事象で、密室の中で議論をすると意見は極端な方向に増れやすい、というようなものがあったように記憶しているが、世界が広がったようでその実見るものはごく限られていくから、結果的には狭くなっている人の方が多いだろう。

誰だって自分に賛成してくれる人と一緒にいたいし、そこに居心地の良さを感じるのが常であって、それを否定するつもりはないけど、その中の正義だけしか見られない狭量さになるのなら、やっぱりそれは危険だよね。

何より他人に対する寛容性もなくなるから、そういう奴が他人を過剰に避難している姿は見ていて胸くそが悪い。

それに面白おかしく乗っかる奴もさらに胸くそ悪い。

そういう奴は平気で無責任に振る舞うし、何かが起きれば知らんふりだ。

でも、今はそれが普通みたいになってて嫌だよね。


こんだけ世の中にラブソングが流れているのに、なんて愛のない世界だとつくづく思うよ。

実際はそんなことはないのかもしれないけど、そうやって不安ばっかり煽られるからそう思い込んでしまっている人もいるんだろうな。

愛してほしいと思うのは普遍的な欲求だけど、そればかりじゃやっぱりダメだよね。

言葉じゃなくて、本質的にどういうことかをちゃんと考えるべきだよね。

"I Say Acoustic ver."