最近Yahooのニュースでもヒップホップ関連のニュースがたまに上がるのだけど、大体の場合はフリースタイルダンジョン絡みだ。
出演者やオーガナイザーのZeebraがインタビューに答えているものが多いのだけど、そこでは往々にしてブームについての言及がなされている。
私は好きで毎週見ているし、ヒップホップも最近聴くので彼らの言っている状況もなんとなくだけどわかる部分もあるし、そうしてシーンとして盛り上がることの面白さを期待しながら見ているんだけど、一方でどこまでいっても一部の好きな人のものであるという状況は、変わっていない。
実際に私の周りでも、フリースタイルダンジョンを見ている人ってそんなにいない。
まあ若者中心のものだから、単に年齢的なものなのかもしれないけど、結局みんなが聞きたいのはドリカムやミスチルなのかもしれないね。
そもそもブームとして語られるのはあくまでラップであって、ヒップホップではない、というのがクリティカルなんじゃないかと個人的には思っている。
ラップは歌い方のスタイルの一つで、ヒップホップの音楽的な特徴のもっともわかりやすい部分の一つだけど、必ずしも本質ではないだろう。
実際ラップ自体は嵐も取りれちゃうくらいJ-POPでも割と普通の表現形式の一つになっているから、ある程度根付いていると思う。
その意味では、ラップも基本形と呼ぶべきものはある程度受け入れられているけど、根付いたとまでは言えないのかもしれないね。
ところで、ヒップホップのメンタリティってなんだ?という話があるわけだけど、出自から考えれば反抗や戦いの音楽で、厳しい環境の中で戦うための音楽として生まれたという背景がある。
ラップという語るような表現形式も、言葉が中心にある音楽として発達したから、というのがあるのではないかと思う。
だから、言いたいことがまずある音楽である。
では何言っているかといえば、俺は成り上がってやるとか、俺のがすごいぜ、という自己顕示欲みたいなものがわかりやすいだろう。
私が昔ヒップホップを聞かなかった理由の一つは、そのメンタリティが受け付けないということだった。
今でもひたすら俺の方がすげぇとか、相手をバカだなんだというだけのものは面白くもなんともないんだけど、そういうものばかりではないし、同じヒップホップというジャンルにあっても表現の軸が日本独自のものもたくさんあって、その中には自分が共感できる世界観や価値観もあって、それに気づいてから割といろいろ聴くようになった。
最近でいえば、MOROHAなんかはヒップホップ的な表現をベースにしているものの、地上波でも登場したり広く受け入れられている。
日本人って、良くも悪くも和を以って尊し、という価値観があるから、自己主張の強い世界観は受け入れにくさはあるんだろうなと思う。
一方で当代にて名を成すという侍的な価値観もあるから、その部分はヒップホップとも通じると思う。
だいぶ前置きが長くなったけど、今回も話の主題は私がブームの前から聞いている数少ないヒップホップアーティスト、Tha Blue Herbである。
彼らも日本のヒップホップを変えた存在として、今やクラシックの一つといっていいのだけど、今のアンダーグラウンドである。
このブームでも表に出てくることはあまりない。
そんな彼も今の状況についてライブや、先日リリースされたシングルでもそれとなく言及されている。
審査員の話もやっぱりきたみたいですね。
彼らの目から見れば、どこまでの波及力があるかの問題はあるにしてもやっぱり大きく変わったという実感があるのだろう。
その中で何を見せるかを意識的なアーティストはみんなそれぞれに考えている。
しかし、彼らは特に変わることないスタンスで、今年は自身の20周年を楽しんでいるようだ。
今はまだ彼らはブームから入った人たちには発見されていないだろう。
先にも書いたけど、あくまでラップブームなので、今の彼らの音楽にそういう人たちが魅力を感じるかと言えば、難しいかもしれない。
だけど、せっかくなら彼らが何を言っているかとか、そういうところまで踏み込んでもらえれば、実はいろんなテーマを歌っているから、共感できるものもたくさんあるから、そういう楽しみ方にまで踏み込んで欲しいよね。
ちなみに私は、この間彼らのミックス集を買って俯瞰的に聴いていて、改めてBossの客演や共演作品を聞こうと思ってせっせと集めている。
いろんなところで彼が何を歌うのか、それを聴くのが面白いのだ。
そうしたフィーチャリングも伝統的なヒップホップの文化だと思うので、そういうのを見るのも楽しいのである。
”あかり from Here” クラムボン ft. Ill-Bosstino