音楽放談 pt.2

SEO強化をしていこう。

やがて燃え尽きるもの -Heart and Soul

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年明け以降、かなりばたばたしていて、いまだに落ち着かない。
 
今日は休みを満喫してみたが、明日は仕事をしないといけない。
 
自分の専門領域以外のところも含めてやらないといけなくて、正直しんどい。
 
仕事は一人ではできないというのは、自分の持っているスキル、知識も含めて新卒の時から実感することの方が多かったからずっと頭にはあるんだけど、ぶっちゃけそこそこのレベルであればそれなりにできるようになってきている。
 
基本的には私は営業であるので、クライアントと折衝したり予算をもらったりするのが仕事で、そのほかの部分は別な部署の人と一緒にやっているのだけど、やっていく中で私も知識をつけていくし、性格的な問題もあって任せっきりにはしないので、ちょこちょこ手を出したり口を出しているうちに覚えていって、なまじっかな奴よりは多分高いレベルでできるくらいにはなっている。
 
一人でできないとわかるためには一度やってみないとそれは実感できないからね。
 
で、悪いけど俺の方が全般的にレベルが高いと思うことが多いのである。
 
俺があと3人いれば、今よりももっと案件の結果を出せている自信があるし、俺自身が楽なんじゃないかと思うことが多々ある。
 
それが現実には不可能だからこそ人の力を借りるわけだけど、そのための仕掛けをどれだけやっても他人は所詮他人。
 
彼彼女がどれだけ一生懸命やってくれても、そのレベル感が低かったり意識レベルで同じでなければやっぱりうまく回らない。
 
そのことについてちょっと疲れてきていて、途方に暮れ始めている。
 
危機感も足りないし、もっとプライドを持って仕事をしようぜといつも思う。
 
彼らが人間的に嫌いなわけでもないしむしろ好きである。
 
いい奴らだし、一生懸命やってくれているのもわかる。
 
だけど、やっぱり基本スペックが多分低いし、そこまでの探究心があるようにも思えない。
 
別に自分もどれほどのものでもないのはこれまでの経験で嫌という程わかっているけど、だからこそ努力しなければいけないし、必死になってやっとたどり着けると思っているから結構頑張っているし、彼らのレベルアップにつながるようにフォローもしているつもりだ。
 
でも、元にそうなっていない以上は何かが間違っているんだろうな。
 
それは私自身の勘違いも含めてね。
 
 
考えてみれば、これまでずっとそうだった。
 
新卒で入った会社では、周りはずっと協力的だったし、私自身も今よりもスキルも何も低かったから、割と助けてもらったという思いが圧倒的に強いんだけど、前職の時は最後には味方なんて誰もいないと思っていたしね。
 
実際はそうでもなかったのかもしれないけど、結局一人であくせくしているだけで、周りから見たら「こいつ何一人でいきってんの?」くらいにしか思われていなかったのかもしれない。
 
そして今もそういう状況なのかな、なんて思うのである。
 
私がいつも不安に思うのは、私としてはこの方がいいんじゃないかと思ってやることの大半が、周りから見れば今更何言ってるの?というレベルのことなんじゃないかということである。
 
みんな優しいからそう言わないだけで、わかっていないのは自分一人で、マヌケを露呈しているだけなんじゃないかといつも思っている。
 
結果にも結びついていないし、もし私の言っていることが本当に意義のあることだったらもっと周りだって動くはずだし、でもそうなっていないということは要するにそうではないということで、そうなると私のやっているのは完全な独り相撲、独りよがりでしかなくて、それであればもういいのではないかという気がしてくるのである。
 
世の中に楽な仕事はないけど、今みたいな形態ではない仕事は世の中にいくらでもある。
 
そこで適度な給料をもらって、そこそこにやっている方が幸せなんじゃないかと思うようになってきている。
 
 
私は自分で言うのもなんだけど、プライドが高い。
 
一番になったことは数える程もないけど、それなりに結果を出してきたし、そのための努力もしてきた。
 
会社の中で役職や給料が上がったのは、それが単なる自己満足ではなかったからだと思ってきた。
 
今はその経験を背景に自信を持っている部分もあるし、反面とらわれてしまっているところもあるだろうと常に気をつけているけど、それではやっぱりうまくいかなくて、結局これまではたまたまうまくっただけなんだろうな。
 
中には評価してくれているのかな、と思う人もいるけど、それも評価ではなくて同情に近いものなのかもしれないと思ってしまう。
 
常に自分の存在価値を明確に提示し続けないと、自分はそこにいる意味がないと思っているし、それがなくなった瞬間に誰も私のことを見向きもしなくなるのではないかという不安が常にある。
 
だから何か新しいこと、これまでになかったことをやることで爪痕を残して、唯一無二にならんとするわけだけど、それよりもすごい奴はいくらでもいて、詰まる所自己満足の外側には出ないのではないかと最近気づいてしまって、それであればそこで頑張ることってどこまで自分の気がすむかだけになってくる。
 
それがなくなった時に、生きている意味そのものが見出せなくなる気がしていて、最近それが不安で仕方ない。
 
もともと高校時代から少しずつずれ始めて思春期を拗らせているんだけど、大学時代を経て変に冷めた価値観を身につけてしまったこともあって、基本的に人生に意味はないと思っているし、その人だからこその価値なんて根本的にありはしないと思っている。
 
特に自分には何もなかったし、人より優れた才能や目立った個性や、人の役に立つような才能はなかったので、せめて努力して何かを示し続けないといけないと思って生きている。
 
だけど、そうすればそうするほど自分の力のなさが際立つし、それゆえに焦りがどんどん大きくなっていく。
 
その反動で意識高い系の振る舞いをしてみるけど、それがダサいことも一方でわかっているからわざと飄々として人には本心は言わなくなっていった。
 
結果を出さない限りは存在価値はないと思っているから、とにかく考えたし、自分なりに努力もしてきた。
 
だけど、結局何も手元にはなかったね。
 
そもそもその時に自分の手元に何があれば満足だったのかももはやよくわからないし、人生というものがそもそもそういうもので、それに至ってやっぱり人生にはもともと意味なんてないから、何かしら自分で見つけるというか、決めるしかないんだなということを改めて思うわけである。
 
それが決めかねる以上は、クソみたいな結末しかないんだろうね。
 
 
年明け以降、どうにも具合が悪い。
 
体はいたって健康、別に精神病もないと思うし、おかげさまで安定した生活を送っている。
 
それなりに楽しい娯楽もあるけど、外の世界にはどんどん興味を失っているし、またいつかのように意識が内へ内へと向かっていて、それも悪方向に渦を巻いている。
 
たまにあるんですよ、こうやってグルグルと意味のない思念にとらわれる時が。
 
結構頑張っているつもりなんだけど、どうにも報われている気がしなくて。
 
努力の大半が報われないことは十分にわかっているけど、それでもやっぱり何かしたの形になってほしいと願ってしまうのがそもそも間違いなんだけど、だけどそれがないとやっぱりしんどいばかりになってしまうし。
 
目に見える成果や変化がないとそれを感じ取れないし、むしろそうでないと意味がないと思っているから、それがない以上、やっぱり自尊心も満たされない。
 
ただでさええ私は自尊心が低くて、自分の存在そのものに意義も価値もないと思っているから、それを補うための価値を示していかないといけないのに、それができていないとアイデンティティが危機に瀕するんですよ。
 
そんなにおめでたい性格ではないからね。
 
四の五の言ってもとりあえず目の前にあるものをやっていくしかないんだけどね。
 
これが後何年続くのかと思うと、憂鬱でしかない。