
たまにふと思い出すエピソードの一つが、祖母の葬式の時のことである。
早くももうすぐ3年が経とうとしているんだけど、その時のことは私にとっては一つの契機というか、ちょっと考えさせるできことがたくさんあった。
まあ、結果的に特に何も変わっていないんだけどね。
それはともかく、その席でばあさんと仲の良かった近所の衆が俺を見るなり、あんたかね、というようなことを言ったんだけど、それがなんなのか最初わからなかった。
しかし、間も無くその理由がわかったんだけど、それは実に何のことのない出来事が根っこにあった。
私が出張でたまたま祖父母の家の近くへ行ったので、お土産を買ってその足で立ち寄ったことがあったのだけど、母方の祖父母は二人ともいたので少し話をして、土産物を置いてきたのだが、3年前に亡くなった父方の祖母はたまたま家にいなくて、私はメモとお土産を置いて後にした。
それからすぐに電話が来て、どうやら本当にちょっとだけ外していただけだったらしい。
そんなニアミスになってしまったことをとても残念がってくれると同時に、とても嬉しかったみたいで何かにつけ近所の衆に話をしていたらしいのだ。
まさかこんなところでそんな話を聞くとは思ってもみなかったし、私にとっては別に何気ないことで特に思い出すこともなかったんだけど、そんなに思ってくれたならちゃんと顔を合わせておけば良かったなと思ったものだ。
結局それっきり会うこともなく、おばあさんは亡くなってしまったのだけど、だから余計にそう思ったんだよね。
ちなみに私は祖母の葬儀の時に泣かなかった。
亡くなったと聞いた時は驚いたし、急だったのでなんだかざわざわしたんだけどね。
いずれにせよ、時間は一つの方向に動いているらしいね。
さて、そうして移ろいゆく人生の中で、存外人生のBGMとなるような音楽ってそうそう出会えないと思う。
ていうか、そんなものを求めている人が俺だけいるかって話もあるわけだけど、幸い私にはいくつかの出会いがあった。
Nine Inch Nailsはその一つだし、Joy Divisionもそうだろう。
人生のBGMとはふとした表紙に頭の中でなりだすような音楽だ。
日本の音楽の中でその一つとなっているのがTha Blue Herbである。
もともと日本のヒップホップ、とりわけアンダーグランドとして今も変わらずあり続ける存在である。
彼らが出て来た当時は表現もトラックも含めて全てが目新しく、まさに革命と言われたそうだが、今は日本のヒップホップも次の次元に到達している。
彼らは活動のスタンスが変わらないとはいえ大御所と呼ばれる存在になったし、表現自体も大きく変わって来ている。
その状況に対して、かつてのファンはつまらなくなった、丸くなった日和ったと行った言葉を浴びせたわけであるが、彼らは意に介すこともない。
彼らは彼らの表現を貫いている。
昨年10月末に20周年記念として野音でライブをやった。
もちろん私はそこへ行ったんだけど、当日は台風直撃、なかなか思い出深い1日になったのであった。
そんな日を彼らはもちろんDVDにして、今年4月に発売予定だ。
それからまた音源制作にはいるようだ。
このライブに先だってリリースされた3曲入りのシングルがあったんだけど、その内容はいかにも今の彼らを表していた。
昔のファン、今のファンに向けた自分たちのスタンスの明確化や、それを踏まえての俺たちはやるだけだという変わらなさ、そしてラストは自分たちの夢の一つが叶いそうな状況に対する素直な喜びの感情。
この曲たちが、今の私には日和ったとかそんな風には映らなくて、むしろ微笑ましく聞いている。
なぜなら彼らはしっかり行動で示して来て今があるし、これからもまだまだ示し続けるだろう。
それに対してああだこうだと言われても、多分彼らは気にしない。
わかる奴だけがわかればいいということではなくて、単に自分たちがやるべきことが明確なだけなだろう。
その姿は変わらずかっこいいと思うし、もう40半ばになった彼らはヒップホップにおいてはすっかり大御所なのである。
若い奴らには憧れとビーフの両方が注がれるだろう。
でも、今の彼らはもうそんな場所にはいないわけである。
で、話を少し戻すと、何かの拍子に頭の中に流れ出す彼らのトラックは、"時代は変わる"”未来は俺らの手の中””孤奮””Mainline”といった楽曲がメインかな。
20代の終わりからずっと「お前のための時代ならお前が変えろ」というラインが突き刺さっていて、今のそれは変わらない。
私自身の人生観と合致したんだろうけど、結局人生なんてその言葉に集約される。
それは今を突き進む時の一番強い気持ちだし、これからを開くのはそれしかないと思っている。
だけど、振り返ってみたら最近の彼らの表現のような気持ちにもきっとなるのだろう。
人生は短い。
ことして私は33になるんだけど、自分があっという間にじじいになっていて、その頃には誰も周りにいなくて、相変わらず一人でイキっているじじいがそこにいるんだろうな、なんて思うわけである。
別に将来に希望なんてなくても生きていけるし、とりあえず目先のプライドだけでも生きていける。
ただ、たまにその周りにいる人に目を向けてみると嬉しくなることもあるから、そうやってこれからも生きていくんだろうなって。
私は時代を変えることはできないかもしれないけど、いろんな人の人生にわずかでも爪痕を残してやりたいね。
今は若い連中と仕事をしているから、余計にそう思うのよ。
彼らは数年もしないうちに別の会社に行くかもしれないし、私自身がそうなっているかもしれない。
だけど、ここで一緒にやったことで何かを彼らが感じてくれたら、それが一番だよね。
話があっちこっちしてしまったけど、取り合えず4月に出るDVDを待ちつつ、私はかわらずやるべきことをやる日々である。