この3連休はほとんど何をするでもなく、大半を寝て過ごした。
数ヶ月に1回くらいのペースで休日をこういう過ごし方をしないと、体力的にも精神的にも杵築のである。
面白いもので、体が勝手にバランスを取るように何もしないように仕向けてくる。
最近は休日には何かしないと、というよくわからない焦燥感に駆られてあちこちとりあえず出かけてみるけど、大体の場合頭が重くて眠気まなこである。
11月は本当に気持ち的にもしんどくて、久しぶりに腐ったような気持ちで過ごした1ヶ月だった。
気持ち的にも揺れ動いたし、ミスもしたし、新規もがっつり撮ってきたし、継続クライアントもいろいろあったし、それでも結構盤石なんだけどね。
だけど、ずっと満足感とか達成感とかなくて、ずっと劣等感みたいな感情が底にあった。
前職の人と会っても、ありがたいことに肯定的な評価ばかりをくれるし、俺と会うということにポジティブな感情を出してくれる子もいる。
頼られているんだなと感じる場面もたくさんあったし、新しい人間関係が見えて嬉しくなることもたくさんあった。
それでもなお、私は救われなかった。
色々のポジティブな出来事もがあっても、それでもずっと満たされなくて、それが自分でもどうしてなのかがいまだにわからない。
ただ、漠然と自分の人生で達成感なんてないし、常に焦燥感ばかりだ。
自分でもなぜかわからないけど、ポジティブな評価をもらえばもらうほど、なんだか惨めに気持ちになるし、嫌な気分になるばかりで、嬉しいと素直に思えたことがない。
その理由は最近自分なりにわかってきたつもりなんだけど、結局私は何もやりきっていないのかもしれない。
新卒の会社でも自分なりに頑張っていたけど、結局何も残せなかったし、前職でも残したつもりが結局何も変えられなかった。
結構必死こいて頑張ったつもりだったし、他の人たちが社長の顔色ばかりを見ている中で、現場にも上にもクライアントにも、そして今だけじゃなくてずっと残り売るものを作り上げようと必死になっていたし、私の中では結構うまくったと思った。
でも、現実はそんなことはなくて、結局何も残せないままに何事もなかったかのようにされて、それが今でも大きく残っている。
本当に悲しかったんだ。
今の職場では、ヒラでいいと思いつつもやっぱり何か爪痕を残したかった。
未経験で業界知識がない中で戦うためにはこれしかないと思って一生懸命やったから、今は安定した粗利を稼いでいるし、このまま行けば今期の目標達成率は120%は硬いだろう。
それでも部署、チームの目標には達成にならないから、その上でなお新規もやっているけど、今期の目標設定とは違うタスクだ。
だけど、定性目標なんて数字あってこそだ。
そう思ってやっているけど、多分それは評価されない。
赤字垂れ流している人の方が評価される会社だ。
結局、私は評価されていないという思いが強くて、社内で同僚からの褒め言葉が多ければ多いほど虚しさが募っていく。
そんなものは金にならない。
月初に外資系の会社の面接を受けて、受かったけど条件が合わずに見送った。
面接を受けた理由の一つが、そんな自分の力を誰かに評価して欲しかったからでもあった。
もちろんやったことがお金になるというわかりやすさも魅力だったけど、それ以上に自分には本当に価値がないのかと思っていたので、誰かにそれを評価して欲しかった。
結果、受かったわけだけど、それでも変わらなかったね。
私は誰に評価されたらよかったのだろうか。
私は結構周りに気を遣っている方だと思う。
それが結果的に仕事成功にも繋がるからと思っているわけだけど、それでもやっぱり疲れる。
それがある期間を経るといろいろ積もっていって、ある時に飽和状態になる。
だから一定期間でこういう息抜きが必要になる。
この週末はまさにそんなタイミングだったんだろうな。
以前、ある人に「あなたは幸せになれなさそうですね」と言われたことがある。
なぜそんなことを言ったのかは聞かなかったけど、妙に自分に刺さった思い出がある。
ちょっと思い当たる節もあったからね。
幸せかどうかは、結局その人の心の持ちようで決まる。
私は人からポジティブに言われても納得できないし、自分なりにやりきったつもりでも何も生んでいない。
今日は都内の静かなところへ出かけた。
老人がまばらに歩き回っているくらいの静かなところで、何の気なしに出かけたんだけど思ったよりも気持ちは落ち着いた。
寂れた美術館で少ない展示品を眺めて、それから昔ながらの庭園を見ながら、紅葉を見ながらぼけっとしたんだけど、たまに音もない静かなところが、心地いいんだよね。
サリンジャーじゃないけど、耳をふさぎ、目を閉じて、口をつぐんで静かに・・・てね。
ずっと希望が見えないままだ。