音楽放談 pt.2

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「P・O・P」の破壊 ―The Mad Capsule Markets

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反骨精神を持つ事、社会に対して反抗的である事、それはある種若者の特権めいたものである。

それは、やはり大人になるという事が同時に社会に適応してゆく事でもあるためであろう。

社会に適応するためには本音ばかりではいけなくて、建前という奴を覚えないといけない。

たとえどんなクソッタレだと思っても、上司である以上は一応頭を下げなきゃいけなかったりね。

なんでこんなクソやろうに俺が挨拶だとしても頭下げんといかんのじゃ、と思う事も、ままある。

でも、それができないと社会では一人前には認めてもらえないんだね。

それが悔しくて、いつかはこんなクソやろうなんて足下にも及ばない所にいってやる、というのが健全な野心のあり方かもしれない。


音楽業界だと、特に日本ではメジャーというのが一般的な社会人的な位置になるのだろう。

実際金も稼ぐ訳だしね。

みんな夢はたくさんのCDを売って、みんなが泣ける歌を書いて、ベストヒットなんちゃらに紹介される、てなモノだろうか。

少年少女に与える夢としてはすばらしいね。

でも、そういう者に嘘くささみたいな者を感じる人間もいるんだよね、世の中には。

その夢の裏側にはどこまでもシビアで、過剰なまでのリアリティが潜んでおり、そこでは夢をみせるためのギミックがうごめいている。

どこからが夢なのか、等の本人にはもうわからない、なんて事もあるみたいだけど、まあ人生というのは夢みたいなものだから。

いつかさめるその日まで、せめて楽しく、てね。


話がそれちゃったけど、メジャーというフィールドでやっている連中の大半はそんな夢に浮かされた夢遊病者のようなもんだ、そんなきが、彼らの歌を聴いているとしてくるときがある。

もちろん彼らに求められるもの、多くの人が望むものはそういうものなんだけど、そうばっかでもないんだよね。

かつて若かりし頃のMad Capsule Marketsは文字通りメジャーの喧嘩を売りにいったバンドであった。

メジャーデビュー盤となったのはインディ時代からの曲も再録した「POP」というアルバム。

ジャケットには南国の風景で、いかにもさわやかな薫りのするアルバムである。


しかし、もちろんそれはある種の建前。

ジャケット1枚捲れば「このジャケットはゴミですのでお捨てください」のメッセージがあり、真のジャケットが現れる。

死体や白骨、女の裸体などの映った過激なジャケットが背後から姿を現す。

音楽をかければまさにギラギラに尖った攻撃的なサウンドが耳をつく。

歪んだギターやベースに激しいドラム、、舐めたようなヴォーカル、歌詞も非常に攻撃的で、しかもストレートに表現されているため、ざくざくと突き刺さる。

彼らのアルバムの内で最も攻撃的な側面の強いアルバムである。

一方で社会や権力による不条理に中指を突き立てるような姿勢は、今にも通じる彼らの根底の精神であろう。

彼らの面白くて、それでいて魅力的なところというのは、そうして非常に外向きに怒りや攻撃性を発揮していると同時に、自身に向かう迷いや葛藤なども諸処に顔を見せるところである。

「Humanity」においてもあるんだけど、そうして自分に取って不条理でふざけた事だらけの社会だけど、実際その中でうまく振る舞っている連中を見ているときに現れる自身への懐疑、すなわち「狂っているのは社会か、自分か」というものである。

初期の作品にはそういう要素が多分にあって、とくにこのアルバムは攻撃性もストレートならそういう部分もストレートで、若いなあ、なんて思っちゃうんだよね。

この当時を振り返って、剛士は以前インタビューで、「やっぱりすごく挑発的な気持ちでした」というような事を語っていた。

ジャケットからしてそれはよくわかるね。

メジャーでやっているうさんくさい奴らをすべてぶっとばしてやる、とでもいわんばかりの気概を感じるよ。


最近日本でパンクと呼ばれる音楽の大半は、2000年初頭に急激に流行したブルーハーツ的、あるいはGreen Dayメロコアで、どれもある種のフォーマットに沿っておりおよそパンクとはいいがたい。

完全にファッションかしちゃってるしね。

そもそもパンクという言葉自体が生じたその瞬間から本来の精神を骨抜きにしているんだと思うけど。

パンクの精神性というのは、基本的に壊す事であり、そこから何かを生み出した時点でもうパンクではなくなる気がするんだよね。

あえてパンクっていう言葉を使う必要はないだろう。

この初期のマッドのようなバンドていうのは、少なくとも耳に入るものの中にはないよね。

反抗者の代名詞である不良という奴らでも、不思議なくらいそういう反骨心てないようで、むしろ単に主体性がないわがままな乱暴者である場合が多い。

そのくせやけに湿っぽい曲を好んだりするから分けわかんないよね。


彼らもデビュー当時はそれはもうおっかない風貌でしたよ。

当時は化粧なんかもしていたので、当時はやりつつあったヴィジュアル系の一群と見なす向きもあったようだが、彼らはそのメンタリティが根本的に違ったので、結局今に至もそう思う人はいないだろう。

そもそも彼らはファッションでなく、精神こそが重要だったのだから。

なにかおかしいんじゃねえの?という怒りや苛立を爆発させつつ、メジャーというフィールドでやっていくに従って色々な葛藤が生じていく様も、その後のキャリアでは見受けられるのがまた興味深い。

それらについてもまた追々書いていきますが、とりあえず、攻撃的な気分のときには是非手に取って、半端な奴はぶっ飛ばされろ。

かっこいいぜ、マッドは。