年々日々の暮らしの凹凸がなくなってきており、ちょっとまずいなと思い始めているのがここ数ヶ月だ。
きっかけは何のことはない、身の回りの人のささやかな変化だったりする。
この人はしばらくないだろうと思っていた独身仲間の1人が昨年入籍、また今1人も近々か?といった兆候が見られる。
また数少ない大学時代からの友人には2人目の子供は年明け早々に生まれ、彼は3月以降1年くらい育休を取るのだとか。
私には信じられないくらい縁のない状況なわけだが、そんな彼らを見ているとふと幸せってなんだっけ?と考えてしまうわけだ。
今が別に不幸なわけではないけど、かといって幸せかと問われればそうでもない。
何となく過ぎていく時間をどう過ごすかということに腐心しているような日々である。
この3連休も、何をするでもないが何かしらをしており、夜は酒を飲んでぐずぐずになって眠る。
これは流石にあかんのではないかと思い、少し部屋の模様替えをしたり片付けをしたりしつつ、じっとしていると思考に絡め取られてしまうので何かをしていないと落ち着かない。
今の自分に本当に必要なことってなんだろう?とか思いながら、とりあえず筋トレでもしようかと思っているが。
そんな私は今年どんな正月を過ごしたかといえば、まあ上記のような感じだ。
10月頃に自転車を買ってからというもの、深夜に自転車で近所を徘徊するのがなんだか心地よくて、寒くなってもそれをやっている。
自分が暗闇に紛れていて、誰にも見られない、存在そのものを意識しなくていいような気持ちになるから楽なのである。
で、31日、今年もあと30分くらいで終わるというくらいの時間帯に家を出て、1人暗闇を自転車を漕ぎながら少し離れた川辺まで行く。
その道中で年越しを迎えてしまったのだけど、ともあれ街灯もない真っ暗闇の河川敷でしばらくぼーっとしてみる。
あったかいお茶を持っていたので、それを飲みながら白い吐息がなんだか刹那的で良い。
ちなみにトップ画像がその時に撮った写真だ。
天気が良かったので月が良く見えた。
向こう側には街明かりが見えるわけだが、その手前は川があるので真っ暗だ。
私はもう高校生くらいの頃からずっとこんな景色の中で生きているような気持ちになることが多かった。
自分の半径数mには何もなく誰もおらず真っ暗、少し先に周りの景色があるんだけど、そこの私のリアリティはない。
別に拗ねているつもりもなかったんだけど、私には人の気持ちがどうしてもわからなくて、周りの人が何を考えているのかがわからなくていつも不安だった。
幸いいい奴ばっかだったし、客観的に見て嫌われてなんていなかったし、むしろちょっと好意的に受け取ってくれている人の方が多かったんじゃないかなと思う。
でも、それはあくまで表面的な話でしかなくて、私の世界は周囲は真っ暗闇が囲んでいるような、そんなものだった。
まあ、しょうがないかと割り切って生きてきたのがここ数年で、幸か不幸か仕事も忙しかったし、その分スキルアップだったり、新しい人間関係だったりを得ることができて、割と幸せを感じることができた。
だけど、ここ1年くらいはまた沼にハマったかのようにそれが何一つなくて、本当にこなすだけの日々になっている。
仕事も死ぬほど面白くないし、何か新しいものを得られるわけでもない。
要するに刺激が足りないんだけどね。
ちょっと色々と考えて見るわけだが、そうはいっても別に暗い気持ちになっているわけでもない。
その辺はよくも悪くもタフなのかもしれないが、大晦日〜元旦にかけて1人暗闇を自転車で走りにながら、聞いていたのはPlasticzoomsの『Starbow』というアルバム。
もう10年以上前の作品だけど、私はこのバンドが今では大好きで、中でもこのアルバムはすごくキラキラしたものがあって大好きなの。
中でも冒頭からこの2曲目”Shooting Star”という曲が最高で、夜にどうしようもなくワクワクするような高揚感みたいなものを感じさせてくれるのだよ。
私は夜の高速道路の風景って大好きなんだけど、そんなイメージが重なる。
今は車は持っていないので自転車なわけだけど、それでもこの曲を聴きながら走っているとなんだか楽しくなってくる。
見た目にはゴシックでメンヘラ臭強く感じるバンドだが、彼らの音楽はキラキラしていていいんですよね。
80年台的な音楽の影響が色濃いのだけど、この時代のえも言われぬ高揚感を表現できていると思う。
新年明けてしょっぱな聞いていたのはこのアルバムだけど、暗闇の中で遠くの明かりを見ながら聴くこの音楽は、素晴らしいですね。
そんな私の23年だが、今日は6時過ぎに起きてまた自転車で散歩へ。
よく通る道にある神社でおみくじを引いたら大吉だって。
占いとかはすぐに忘れてしまうタチだが、いい結果の方がいいしね。
今年はまた違うことを色々やっていこう。