音楽放談 pt.2

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小休止21「懐メロ」

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先日、ある曲のことが不意に思い出され、それが一体何と言う曲なのかが気になって仕方がなかった。

その断片的に記憶していた歌詞と情報を基に、インターネットで探してみた。

たしかみんなの唄だったような、たしか留守番電話が云々、平日の朝に云々・・・。

しこうして後、ようやく目的の曲にたどり着いた。

”そんなぼくがすき”という曲であった。

なんとその曲はたまの曲であったのである。

”さよなら人類”の大ヒットにより、未だにテレビにもちょくちょく登場するたま。

といってもバンドとしては出てこないけど、地味に世間に知れ渡っているバンドブームの大いなる遺産である。

活動期間があまり長くなったようなので、完全に過去の人、一発屋な空気がぷんぷんだが、改めて曲を聴いてみると侮れない。


完全にオリジナリティ、ていうか何だこいつら。

奇妙なアレンジに実験しまくりの演奏などなど、歌詞の世界観とヴォーカルのスッとぼけたような唄い回しも相まって、唯一無二である。

こういうバンドは探そうとしてもそうはいないだろう。

お目当ての”そんなぼくが好き”も、奇妙な曲である。

なんともドリーミーで陽気な雰囲気がある一方で、微妙にキーが外れたヴォーカルも含め、やけに寂しい曲である。

ポジティヴな孤独の寂しさというか。

私の記憶に残っていた歌詞は「悲しい夜には、留守番電話を買って、悲しい思い出を留守番電話に話す」という、この一節だけである。

当時まだ保育園生であった私は、保育園にいくのが嫌で、毎日泣いていた覚えがある。

その家を出る時間が、ちょうど朝の8時半とか位だったと思うけど、その時間帯の前後くらいにみんなの唄がやっていて、そんな事も相まってすごく寂しい曲のイメージがあった。

アニメーションも、涙を流したグラスや、サイケデリックな世界観がいかにも寂しい感じがして。

こんなだったなあ、などとささやかなノスタルジー


他にもいくつか探してみたが、見つからないものも結構あって。

いかんせん古い上に記憶も曖昧なので、探す手だても少なくて。

だけど、こうして調べてみると、ひらけポンキッキの唄や、みんなの唄で流れていた曲は、かなりエキセントリックなものも多い。

”お○ぱいがいっぱい”(なんか検閲に引っかかりそうなので)とか、”こんぴゅーたーおばあちゃん”とか、他にもかなり心惹かれるタイトルが目白押しである。

”北風小僧の寒太郎”唄ってるのって堺正章だったのね、なんていう発見もありながら。

やけに面白くてつい夢中で探しまわってしまったのでした。


いわゆる青春時代に聞いていた曲とか、ある特定の時期に聞いていた曲というのは、曲の内容云々を超越してやけに心に残っている事がある。

人間の記憶というのは、そのときの状況(文脈という表現をする)などと共に記憶された情報は、長時間保持され、しかも再生率も高いという。

なので、よく覚えている曲であっても、実際はその曲自体というよりも、その曲を聴いていた当時の文脈を思い出すのではないかと思う。

懐メロってそういうものだよね。

実際、懐メロがやけに良く聴こえるのは、必ずしも曲が良いからじゃないんだよね。

それに、懐メロの中には聞きたくないものだってあるし。

私の場合、”そんなぼくがすき”は、どちらかと言えば嫌な記憶というか、ちっとも楽しい思い出などないしね。

だけど、自分の中ではもう既に過去としてキチンと処理できているし、逆に微笑ましくもあるくらいだから、きっと楽しんで聞けるんだろうね。

良い曲だと思うし。


さすがにノスタルジーに浸るにはまだ若いだろうけど、音楽を聴く楽しみってのはそういうところにもあるよね。

ちなみに私が大学生になって、未知の土地に引っ越してきて最初に買ったCDは、The Mad Capsule Marketsの「Cistem Confliqt」であった。

今でも聞くとそのときの感じが、景色が、蘇るのである。

まあ、アルバム自体も完成度の高いアルバムなんだけど。

でも、他のアルバムとはちょっと聞いているときの感覚は違うよね。

面白いなと思う。

きっと今夢中で聞いている音楽たちも、いずれの日にかそうした文脈とともに語られる日が来るのであろうか。

それはそれで、将来が楽しみに感じられる要素の一つであるように思う。