音楽放談 pt.2

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俺は俺だ、といいたい ―Arctic Monkeys

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最近日本で誰でも知っているバンド、ないしはアーティストといわれ、一体誰を思い浮かべるのであろうか。

人により異なる事を前提として聞く訳であるが、そのときに最も多くの名が上がったものがその時代を象徴するアーティスト、という見方は出来るだろう。

別に音楽的な価値なんてそこでは問題ではない。

大衆文化としての音楽としての問題である。

恐らく、私らの世代であればミスチルとかだろうけど、もっと幅広く問うたらば、恐らくサザン辺りじゃないかな、思う。

バンドとしてはかなりキャリアがあるにも関わらず、年代問わず認知、支持されているのは彼等くらいだろう。

まあ、ぶっちゃけ桑田圭祐その人であるともいえるけどね。

桑田さんは、私何ぞでも面白くて好きだし、いつまでも衰えないな、とつくづく思う。

それでもCDは1枚も持ってないけど、誰でも知っている可能性は一番大きいと思う。


今は世界的にそういう共通項がなくなりつつある、というのはよくいわれる話である。

別に好きな音楽・アーティストに限らず、本でも、趣味でも、なんでもそう。

時代が豊かになるにつれて、人々にとっては選択するという方法が主流であり、その選択肢がかつてなく膨大になっている訳であるから、当然選択された結果は細分化されるだろうね。

情報収集の仕方に関しても、新聞が存続の危機とも言える状況の中、様々な方面で新聞購読の啓蒙が盛んである。

個人的には、別に媒体特性そのものにはそれなりの価値はあると思うけど、一方でそこに特別の思い入れを持つ必要もないと思っている。

所詮新聞をメインに読んで育った層が自分の成功なり知識の源泉の一つとして新聞がありますよ、という事をリプリゼントしているだけで、ネットでも同じように情報収集は可能なのである。

要は使い方の問題である。


まあ新聞の事はどうでもいいけど、海外なんかでも大衆音楽の在り方が変わっている、みたいな話はちらほら耳にする訳である。

聴き方という部分に関してもそうだし、音楽自体にしてもそう。

昨今業界で話題になる音楽の傾向などを分析しつつ、現状に対する危惧を訴える、というのが音楽マスコミの在り方にもなりつつあるし、むしろ完全なノスタルジーに走っているところも少なくない。

先日ある老舗音楽雑誌が、読者からの要望により字の級数を上げる、なんていう記事も出ていたが、かつては最新情報を載せるメディアであった雑誌も、今は情報以上の企画であったり趣向であったりが求められるようである。

そうして情報を収集するために用いる媒体も、細分化されて行く訳である。

ジャンル別の専門誌なんてもはや当たり前だし、そうなると自分にとって興味のないジャンルの雑誌なんて手に取らないしね。

余談だが、新聞を推奨する人が新聞を推奨する理由として上げているのが、好みに依らず情報が一覧化されていることによる知識の偏りを防げる、という部分であるらしい。

だから、えり好みせずになんでも手に取れば、別に新聞である必要なんてないし、それゆえ新聞を読んでいないから駄目ということはない。

もっとも、新聞の場合はむしろ情報の共通項を持つ、という事に対して有効ですよ、というのが本質かもしれないけど。



つい話を広げすぎてしまったので本題に入ろうか。

いわゆる大衆性の高い音楽を求めているのはどこの国も同じである。

アメリカでもイギリスでも、恐らくジャンルに寄ってそれぞれのヒーローが求められる訳であるが、
殊ロックと言うジャンルはその雑食性故にそうした統一的な価値を共有しづらい側面があり、特に今のようにロックから派生してまったく意味不明な音楽を展開するような奴らが跋扈し始めると、もはや共通項なんて見つける事など出来ず、細分化されたいくつものシーンが点在するような有様を呈するというのは、至極真っ当な結果とも言える。

それでも、60年代はビートルズ、70年代はパンク、80年代はエレポップ?、90年代にはイギリスにはオアシスが、アメリカにはニルヴァーナがそれぞれある種の象徴として、高い認知度を誇っていたし、時代の音として多くの人が楽しんでいた。

いまに至もその影響はそこかしこにあり、大衆音楽としての、いわゆるポップミュージックと呼ぶべきものがあった。

でも、それがないよ!といって、メディアたちは自分たちが扱うべき対象の拡散による困惑もあってか、嘆いている訳である。


そんな中で、ここ最近でそうした役割を担わされた感があるのが、Arctic Monkeysであろう。

やっとこのバンド名が出てきたね。

彼等はMySpaceのような、ネット上の音楽コミュニティから世界に出てきた世代として、一つの象徴のように扱われている。

実際そうした、ほとんど趣味でやっているような連中が集まっているようなところから出てきた割には高い大衆性があり、同時にロックの手法としても先人を参照しつつ、自分たちなりの形を持っていた事も大きいだろう。

彼等の1stアルバムは、それこそ久しぶりの大ヒット、日本でもオリコンチャートに上がってしまったり、いろんな雑誌が年間ベストに選出するという結果になった。

音楽そのものには好みがあるし、私の感想としても、そこまでか?というのが正直なところであった。

かっこいい曲はあったし、売れる理由はわかるけど、正直騒がれている理由はよくわからなかった。

ハイプとまでは言わないけど、メディアが煽った部分は結構あるだろう。

特に音楽のメインの消費層たる若い世代にとっての新しい共通項とするのにうってつけ、という見方が多かったのだろう。


とはいえ、現在までに彼等は3枚のアルバムを出している訳であるが、当初想定されていたような形には必ずしもなっていないように思う。

一つに、消費者側があまりに飽きっぽく、かつ既に共通項を求めていなかった事がある。

また、バンド側も若いくせにやたら冷静で、捻くれていた事だろう。

1stから1年経つか立たないかで2ndは制作され、1stとはまた少し違うベクトルのアルバムで世間を唸らせた。

評価は軒並み好評で、結果的にまたも年間ベストを取りまくった(特に日本の雑誌)。

そして昨年出された3rdに関しては、賛否両論。

音楽的には結構考えて作られたんだろうな、と思わせるものの、商業性とは距離を置いたような作品で、さすがに雑誌の評価も落ちた。

それでも本人たちは、多分気にしてないんだろうけど。


そんな彼等に対する私の見解としては、なんとなく気になるお気に入りバンド、と言ったところか。

彼等の音楽は、正直中毒性を感じるほど聴き込むことはない。

しかし、どちらかと言えば好きだし、ライヴも観たけど良かったし、なので次に何をやるかは気になる。

それに、楽曲の幅も広いし、多作なので、とりあえずある音源は全て聞きたいと思う。

と、まあ要するに普通に好きなバンドの一つである。

良いバンドだと思う。

インタビュー記事を読んでも浮ついたところはないし、純粋に音楽と向き合っているというのがよくわかる。

ある意味今時のバンドらしいスタンスだと思うし、それでいてある程度の大衆性のある音楽を作れるのだから、やはりメディアも注目するだろうね。


ともあれ、このバンドのような立ち位置のバンドというと、いるようでいない気がするのである。

ニューレイヴと呼ばれた一群は、音楽性が特徴的であったので、一つの共通項により強引に括る事が出来たが、彼等の周辺にはある意味では似たようなバンドはいくらでもあった。

しかし、一方で同じと括るには少々根拠が乏しいと言うか、そんな印象であった。

3rdアルバムによりそのことが更に顕著になったように思うが、それだからこそ気になるのかもしれない。

次のアルバムは多分、かなり面白いと思うのですよ。

そうした期待感も胸に、なんとなく追ってみたいと思っているのである。